Nas(2)
期待に応えて生まれたクラシック
それは94年春に発表されたファースト・アルバム『Illmatic』に起因する。91年にメイン・ソースの“Live At The Barbeque”に客演したナズ(当初の名義はナスティ・ナズ)は、その翌年に“Halftime”でシングル・デビューを果たした頃から、持ち前のリリカルなライムゆえに、早くも80年代末のヒップホップ黄金期の立役者だったラキムと重ね合わされ、その後継者としてアルバムの完成が待たれていた。92年にはドクター・ドレーの『The Chronic』が登場し、世間は西海岸発のGファンク人気一色に染まっていく。その反動(反発)からか、黄金期の東海岸ヒップホップを知る者たち(アーティストも含む)が〈揺り戻し〉を期待するなかで登場したのが『Illmatic』だったのだ。
Gファンクによって世界中に知れ渡った〈ギャングスタ・ライフ〉は、『Illmatic』の実質的な1曲目“N.Y. State Of Mind”でも取り上げられている。ただしナズはそれを決して誇示するのではなく、そうなってしまっている状況に着目。クールG・ラップよりも冷徹なその感覚は、エリックB&ラキム“Mahogany”の一節をタイトルとサビに据え、DJプレミアのジャズ・サンプル使いによる不穏でメロディックな隠し味が効いたビートとの驚くべき一体化を実現し、アルバム全体の方向性を示したのだった。こうした奇跡の連続から成る『Illmatic』は、高まっていた期待すら上回る満足感を与え、たちまち〈クラシック〉と評価されるに至っている。とはいえ、それはヒップホップを聴き込んできたリスナーの反応であって、最近でもリッチ・ボーイが言っているように、ナズのリリックの語彙レヴェルは読み解くのに辞書が要ることもあるようなものであり、即効性を持つGファンクのようには爆発的なヒットにならなかった。また、プレミア以外にもピート・ロックやQ・ティップ、ラージ・プロフェッサーらによるビートの、得も言われぬ滋味と含蓄の深さが、サウンド中心に聴く日本のリスナーの感覚や琴線にダイレクトに触れたようにも思える。
この『Illmatic』の素晴らしさを認めたからこそ、ジェイ・Zも自身のデビュー作でナズとの共演を望み、そのオファーを一蹴されたことからビーフにまで巻き込み、最終的には和解をイヴェントにまで高めるだけでなく自分のレーベルと契約させてまで、結果的には10年がかりで共演を実現させるほど〈求められていた〉存在だったのだ。ところが、『Illmatic』発表直後のナズとしては、ジャケのアイデアを『Ready To Die』であからさまにパクってみせ(これはつい最近のリル・ウェイン『Tha Carter III』にも繋がっている?)、〈キング・オブ・ニューヨーク〉を誇示するために同名映画の主役の名をもじった“ブラック”フランク・ホワイトを名乗ったノトーリアス・BIG(ビギー)しか眼中になかった……。『It Was Written』収録の“The Message”での標的は他ならぬビギーである。皮肉にもそれを自分のことだと勘違いした2パックは、一方的にナズをビーフに巻き込んでディス・ライムを書きまくるも、ナズはすぐさまパックと直接会って、誤解を解いたのだった。
前述の“N.Y. State Of Mind”だけでなく、『Illmatic』全体に映画「スカーフェイス」のイメージさえ散りばめられていたにもかかわらず、2作目の『It Was Written』でのナズが、実在のコカイン王=パブロ・エスコバルに倣って〈ナズ・エスコバル〉を名乗って過剰にギャングスタ化した印象が強く残ったとしたら、そこにはビギーと『Ready To Die』に対抗する目的があったと想像してもあながち間違いではないだろう。ナズのライムはいまに至るまで一貫してリリカルなのだが、リリカルであるために、決して説明口調にはならない。というか、〈説明〉には向いていない。聴き手は行間を読み取らなければならないから、何度も聴き直せる楽しみがあるし、同業者でさえ触発してやまないのだ。それもまた、この人がミュージシャンズ・ミュージシャンならぬ〈MCズMC〉である所以だろう。
▼子供ジャケのクラシック。