THERE IS ME FOR ALL OF THE BEACH BOYS
誰が抜けても存在し得ない! ビーチ・ボーイズを支えたビーチ・ボーイの面々をご紹介!!
●BRIAN WILSON
天才的な作曲/アレンジ能力で次々と名曲を量産したブライアン。リーダー兼プロデューサー(兼ベーシスト)として初期のバンドを成功に導いたのも彼なら、精神を患ってドラッグに溺れ、バンドを大いに振り回したのもやはり彼である。だが、20年近い廃人生活の後、88年に初のソロ・アルバム『Brian Wilson』で本格的な復帰を果たしてからはマイペースながらもソロ活動を続け、2004年、念願の『Smile』完成をもってついに長年の呪縛から解放された。最近ではその存在および波乱の人生が神格化されすぎた結果、世間に〈ブライアン至上主義〉の歪んだビーチ・ボーイズ像がすっかり定着してしまったのも事実だ。
(田中)
▼ブライアン・ウィルソンの作品。
88年作『Brian Wilson』(Sire)
●DENNIS WILSON
ウィルソン兄弟の次男で、ドラムス担当のイケメン。奔放な性格でマイクともたびたび衝突した問題児だが、ブライアンのやろうとしたことを理解し、その所業を自分なりの解釈によって“Forever”など情感に満ちた自作曲に昇華させたただ1人の男でもある。先日、久々にリイシューされた唯一のソロ作『Pacific Ocean Blue』は、その才能と男気、そしてロマンティシズムを爆発させた名盤。
(北爪)
●CARL WILSON
ウィルソン兄弟の末弟で、主にリード・ギターを担当。ブライアンが表舞台から退いて以来、抜群の表現力を誇る歌い手としてだけでなく、ソングライターやプロデューサーとしての才能も開花させ、最年少ながらバンドの音楽面を先導した人物。『Wild Honey』以降の諸作は彼の奮闘なくしては成立しなかっただろう。80年代に2作のソロをリリースしたが共に廃盤。98年、ガンのために他界。
(北爪)
●ALAN JARDINE
ブライアンの高校時代の友人。結成時はベースを担当していたが、デビュー前に一時脱退。『Surfer Girl』からギタリストとして復帰した。地味な存在ではあるが、リードを取った“Help Me Rhonda”などでの快活な歌唱は忘れ難い。また彼のペンによる“Lady Lynda”は、後期ビーチ・ボーイズでも屈指の名曲だ。
(北爪)
●MIKE LOVE
なにかにつけて商業主義的な姿勢がファンの不評を買うことも多いが、若者の日常を活写した歌詞やユーモラスなステージングによりグループのサニーサイドを牽引した功績と、何よりリード・ヴォーカリストしての強烈な個性は絶対に無視できない。彼の声(特に低音が素晴らしい! )あってこそのビーチ・ボーイズ、とここに断言しておく。
(北爪)
●BRUCE JOHNSTON
隠居したブライアンの代役として途中加入した〈6人目のビーチ・ボーイ〉。名曲“Disney Girls”の作者としてお馴染みの有能なソングライターでもある彼は、バンド加入以前にもブルース&テリー名義でサーフ/ホットロッド系の傑作を発表していたり、ソフト・ロック風味なソロ作『Going Republic』を発表したりと課外活動も大いに聴き応えあり。しかも本当のサーフィン好き。いまも現役メンバーとしてがんばってるぞ!
(田中)