TARRUS RILEY
その歌声は人々に幸せを運んでくれる
ジャマイカという国でのR&B人気はなかなか凄いものがある。少し前ならばアリシア・キーズの“No One”をダンスで聴かない日はなかったし、日中に街を歩いていてもそこいら中からR&Bが流れてくる。そうした傾向はケーブルTVが一般家庭に普及していった90年代半ばから始まっているようだが、そんな環境で育った同国のアーティストがR&Bやヒップホップのテイストを採り入れていくのもごく当然のことに思える。
ここ数年の間に登場してきたジャマイカのシンガーたちは、特にその傾向が強い。ドロッとしたルーツ&カルチャー系の歌い手とはひと味違う、間口の広い作風。非レゲエ・リスナーでも聴くことのできるスムースなムード。ロング・セールスを記録している2006年作『Parables』がこのたび日本盤化されたトーラス・ライリーは、その筆頭とも言える存在だ。
彼の父親は、ジャマイカの名シンガーであるジミー・ライリー。そうしたこともあって、幼い頃からスライ&ロビーや(後にトーラスのプロデューサー/マネージャーとなる)ディーン・フレイザーといった名プレイヤーたちに囲まれて育つ。意外にも、音楽キャリアのスタートはシンガーとしてではなく、DJだったとか。
「当時俺が好きだったのはシャバ(・ランクス)、(ルーティナント・)スティッチー、メジャー・ウォリーズ、ジェネラル・トゥリー、ピンチャーズとか、80~90年代のアーティストだね。年齢がバレちゃうけど(笑)」。
DJからシンガーに転向した理由を訊ねると、「シンガーは長く音楽をやっていけるけど、DJはその時のトレンドに左右されるからね」とトーラス。独学でギターやピアノの演奏を習得するなど音楽的志向の強かった彼にとっては、流行のトピックを扱うDJよりも、普遍的なメッセージを歌うシンガーのほうが性に合っていたのだろう。
2004年にはファースト・アルバム『Challenges』を、当初マイアミのみでリリース。同作は大きな注目こそ集めなかったものの、その後、先述したディーン・フレイザーとタッグを組むようになってから一気に才能が開花。名サックス・プレイヤーであり、多くのシンガー作品を手掛けてきた名プロデューサーでもあるディーンについて、トーラスはこう話す。
「経験豊かだし、物凄いハードワーカーだからね。サッカーでいえば、弱小チームを強豪チームに変えることのできる名コーチみたいなものなんだよ」。
野球で言えばノムさんみたいな存在ということか? ともかく、〈弱小チーム〉どころか天性のノドを持って生まれたトーラスは、2006年にはディーンのプロデュースによって『Parables』を制作。ここからの“She's Royal”がじっくり時間をかけてヒットへと辿り着くと、その名は世界中へと広まっていくことになった。その成功の要因について、彼自身はこう分析する。
「世界中のどの国でも、みんなハッピーになりたいと願っているはず。みんな同じものを求めてると思うんだ。ラスタが言うところの〈One Love, One People〉ということだよ」。
『Parables』は、現代のジャマイカン・シンガーの魅力を凝縮したようなところがある。先述したような間口の広さ、そしてドロ臭くなりすぎない歌唱。ジョン・レジェンド“Stay With You”のカヴァーをサラリとこなすあたりも、非レゲエ・リスナーへのアピール・ポイントになるかもしれない。そうした幅広い音楽性について、彼はこう話す。
「レゲエを聴くときは楽器の音を聴くようにしてるんだ。レゲエの演奏には幅広いテイストが隠されているから、僕の音楽にもR&Bやジャズのフレイヴァーが出てるのかもしれないね。もちろん、ジャンルを問わずメロディーのいいものは聴くようにしてるよ。自分でリミットを作らずに、いいものは採り入れようとしてるんだ」。
好きなR&Bアーティストについては、最後まで口を割らなかったトーラス(ジョン・レジェンドに関しては「好きだよ」と一言)。そのあたりには、他国のものを容易には褒めないジャマイカ人らしいプライドがあるのかもしれない。
〈レゲエ〉と一言で言っても、そこにはギャングスタ・ライフを歌うバッドマンDJがいれば、ジャーへの思いを叫ぶラスタ系DJもいる。下ネタもダンス賛歌もあって、テーマもさまざまだ。だが、〈One Love, One People〉という普遍的なメッセージを歌い、「世界中で受け入れられることが僕のなかで大事なんだよ」と話す彼の歌声は、より幅広いリスナーへとレゲエを届ける力を持っているのではないだろうか。
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