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特集

LEE "SCRATCH" PERRY(3)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2008年06月19日 11:00

更新: 2008年06月19日 17:00

ソース: 『bounce』 299号(2008/5/25)

文/池城 美菜子

自由と栄光を手に入れて……

 70年代に入ってもペリーの快進撃は続く。60年代から親しくしていたスタジオ・ワン同窓生のトリオにプロデュースを請われたのは大きかった。このトリオのメンバーは、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラー、そしてボブ・マーリー。そう、ウェイラーズだ。彼らとペリーが作った“Soul Rebel”“Duppy Conqueror”“400 Years”“Small Axe”はヒット曲であっただけでなく、レゲエの未来を映す青写真でもあった。『Rasta Revolutions』『African Herbsman』『Soul Revolution』などに収録されている音源を、リー・ペリーの名前を意識せずに聴いてきた人もいるかもしれない。ペリーは私たちが思っている以上に、レゲエ史と奥深く絡み合っているのだ。74年の『Catch A Fire』で大ブレイクした後も、ボブはペリーとは連絡を取り合っていた。権利関係で時に罵倒し合いながらも、数少ない〈天才語〉を操る相手として互いを大事に思っていた節がある。ペリーはいつだってボブみたいに歌いたかったのではないか。彼とのセッションを指して、「俺の声、メロディー、言葉がボブの肉体を通して歌っていた」とまでコメントしている。

 次の大事件は73年暮れのブラック・アーク・スタジオの完成である。キング・タビーと世界初のダブ・アルバム『Blackboard Jungle Dub』を作り上げた直後で、この新しい手法をも採り入れた摩訶不思議なリー・ペリー・ワールドは、最少限の機材から大きく広がっていく。彼の機材の扱い方は型破りだった。97年の工藤晴康氏のインタヴューで「機材といっしょになり、限界を超してしまう」とみずから言っているほどだ。70年代後半の4~5年のブラック・アークからは、凄まじい傑作群が生まれている。崇めすぎて高い場所に上げるのは本意ではないが、この時期のアルバム・タイトル、アップセッターの7インチのロゴ、アップセッターズとして活躍したミュージシャン、縁の深いシンガー、DJの名前を見るだけで私はときめく。収集癖のあるペリーのコラージュで埋め尽くされていた音のサンクチュアリ、ブラック・アークは波動=エネルギーが集まりすぎたのか、まもなく自滅の道を辿ることに。ペリー作品はヨーロッパでも評価が高かったものの、アイランドのクリス・ブラックウェルはペリー自身の作品の数々をリリースしなかった。落胆したペリーは酒量とハッパの摂取量が増えて、バランスを崩しはじめていた。

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