THROUGH THE PAST(2)
自然に溶け合ったハイブリッド・サウンド
ブリストルという街の名前がバイオグラフィーにあるだけで興味を示す音楽ファンは少なくないだろう。ロバート・ワイアットが出身者として有名だろうか。加えて、ブルー・エアロプレインズやレーベルのサラといったインディー・ギター・ロック文脈でもこの地名を見つけることができる。自然が豊かで、ヒッピーやトラヴェラーズも多い街。伝統的なフォークやジャズは古くから盛んで、同時に移民たちが持ち込んだカリブやアフリカの音楽も根付いている。50年代以降はセントポールズ地区にカリビアンが住み着き、カリプソやスカ、レゲエが定着。反抗という共通項からレゲエ・カルチャーと呼応したポスト・パンクの流れに加え、ヒップホップが大西洋を渡ってやってくる70年代後半以降はブリストリアンたちのハイブリッド・サウンドが鳴り響くことになる。
ブルー・エアロプレインズのベスト盤『Huh:The Best Of The Blue Aeroplanes』(Chrysalis)
マーク・スチュワートはブリストルの生き字引のような重要人物。ダブ、パンク、ファンクからフリージャズまで封じ込めたアヴァンギャルドなサウンドを奏でたポップ・グループを結成し、その後のON-U周辺での活動も知られている。ポップ・グループとメンバーがリンクするグラクソ・ベイビーズやマキシマム・ジョイ、やはりブリストル人脈に欠かせないネナ・チェリーがいたリップ・リグ&パニック、ピッグバッグなど、当時のパワフルで雑食性のあるアブストラクトなサウンドはいまなお新鮮に響く。
ブリストルの代表といえば、マッシヴ・アタックになるだろうか。ダディGと3D、マッシュルーム(後に脱退)は、91年リリースのファースト・アルバム『Blue Lines』でいきなり衝撃を与えたわけだが、彼らはオーディションで集まって突然生まれたようなグループではない。
「ワイルド・バンチがブリストルを活気づけたんだよ」(ダディG)。
彼らの前身となるワイルド・バンチは、DJマイロことマイルス・ジョンソン、リップ・リグ&パニックのメンバーでもあったネリー・フーパー、ダディGを中心に、3D、ウィリー・ウィー、若いマッシュルームが加わって結成され、いまも伝説として語り継がれるサウンドシステムだ。彼らがよくプレイしたダグ・アウトはセントポールズと比較的裕福な白人層が住む地域との中間にあり、人種が交わるようなクラブだったという。やがて、ロンドン、そして東京と活動の場を広げ、自由な折衷作業が行われていく。彼らのレコードは12インチ“Friends And Countrymen”のみだが、そこに収録されたバカラック/デヴィッドのスタンダード“The Look Of Love”のカヴァーは〈ラヴァーズ・ヒップホップ〉などとも呼ばれ、ヒップホップ・ビート+女性ヴォーカルの雛形となった。
「あの曲で90年代のプロダクション・メソッドが決まったんだ」(3D)。
マッシヴ・アタックと初めて記され、ダディGとカールトンをフィーチャーしたルーファス&チャカ・カーンのカヴァー“Any Love”をプロデュースしたスミス&マイティも、ワイルド・バンチ/マッシヴ・アタックと双璧を成す重要な存在。レゲエ・バンドのレストリクションを経たロブ・スミスがスウェットに参加し、そのキーボーディストだったレイ・マイティと組んで活動を開始。ピーターD・ローズを加えたドラムンベース・ユニットのモア・ロッカーズや、近作ではダブ・ステップにも接近したソロ・プロジェクトなど、多名義を使い分けて精力的な活動を続けている。
「ロンドンとかに住んでいたら流行に左右されることもあっただろうけど、僕らはブリストルにいて、話し合ったコンセプトをベースにやりたい音楽を作れていると思うよ」(ロブ・スミス)。
『Blue Lines』が発表された91年には、マッシヴ・アタックやスミス&マイティも参加したコンピ『The Hard Sell』がリリースされたことも忘れ難い。同作はチャリティー目的で作られたものだが、同時にブリストルに優れたアーティストがいることを伝える役割も果たした。マッシヴ・アタックの準メンバーでもあったトリッキーも“Nothing's Clear”を提供。同曲を共作したのが、のちに近郊の海沿いの街の名でデビューすることとなるジェフ・バーロウだった。そう、約10年ぶりの新作『Third』が到着したばかりのポーティスヘッドだ。デジタルとアナログの壁を取り払い、エレクトロニカの新たなスタイルを切り拓いた2枚のアルバム『Dummy』『Portishead』とライヴ盤『PNYC』は、90年代を代表する作品となった。ちなみに、近々久しぶりのアルバムを発表するらしいトリッキーは、ブリストル組のなかでもっとも個性的なキャラクターを放つ男。スミス&マイティのステージで初めてマイクを握った頃は、かなりの不良だったという。
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