Mariah Carey(2)
シンデレラ・ストーリーの幕開け
マライアの故郷はNY州の郊外、ロングアイランド。マンハッタンからさほど遠くない、いわゆる通勤圏内のエリアにある。70年の3月27日、アイルランド系白人の母親と、アフリカ(ベネズエラ)系黒人の血を引く父親との間に彼女は誕生した。3歳の時に両親は離婚。以来、彼女はほとんど父親と接することなく育っていくが、シングル・マザーが支える家計は決して楽ではなかったようだ。そのあたりのトラウマや、ハーフであるがゆえに黒人の血が混じっていると苛められ、一方では白人の血が混じっていると苛められ……という幼少期の辛い体験は、彼女の多くの歌で普遍的なテーマともなっている。歌いはじめたのは3~4歳の頃。元オペラ歌手でヴォイス・コーチを務めたこともある母親の影響が大きかったようだが、マライアにとって音楽は孤独な幼少時代における唯一の救いだったとも言われている。高校に入ると曲を書きはじめ、デモテープ作りに精を出していく。高校の同級生が当時を振り返り、〈マライアはほとんど学校には姿を見せず、デモテープ作りに勤しんでいた〉とコメントしたこともあった。まあ、あれだけ歌唱力があれば当然かもしれないが、すでにその年齢で〈自分の道は歌〉と決意を固めていたようで、高校を卒業した彼女は、夢を実現するためマンハッタンへと上京する。
マンハッタンでの生活は、シンガーになるチャンスを窺いつつウェイトレスなどのアルバイトで家賃を賄うというもので、それなりに苦労もしたようだ。が、間もなくシンデレラ・ストーリーの幕は切って落とされる。ブレンダK・スターのバック・シンガーを務めるようになったマライアは、当時のコロムビア社長で、後に夫となるトミー・モトーラとパーティーで出会い、ブレンダを介して自分のデモテープを渡すことに成功する。そのテープを耳にしたモトーラがすぐさま契約を申し出て……と、あまりにできすぎなストーリーではあるのだが、後にマライアが幾度となくブレンダに感謝の意を表していたりもするので、経緯自体の信憑性はかなり高いのだろう。なお、マライアは自分と同じく白人とラテンのハーフであるブレンダに対しては、後に彼女の大ヒット曲“I Still Believe”をカヴァーすることで恩返しを果たしていたりもする。98年に発表されたそのカヴァーは大ヒットを記録した。
話を戻して、90年にいよいよアルバム『Mariah Carey』でデビューを飾るマライアだが、出だしこそ鈍かったものの、11週連続で全米でチャートの首位を飾り、全世界でも軒並み1位を獲得してセンセーションを巻き起こしはじめる。シングルも“Vision Of Love”“Love Takes Time”“Someday”“I Don't Wanna Cry”と立て続けに4曲連続で全米No.1を記録した。もちろんあの5オクターヴと言われる声域も話題だったし、その可憐なルックスも注目された。グラミー賞で多数のノミネーションを受け、新人賞などを獲得。翌91年のセカンド・アルバム『Emotions』も全米No.1を獲得、順調にキャリアを築いていく。この最初の2枚のアルバムのサウンドはソフト・ロック寄りのR&Bといった方向性で、これには洗練されたアーティスト・イメージを打ち出したいというモトーラの策略もあったようだが、結果的にその狙いは大成功を収めた。アメリカではほんの少しでも黒人の血が入っていれば黒人と見なされ、みずから黒人としてのアイデンティティーを持つ人も多いが、この時点で彼女のことを黒人として捉えている人は(特に黒人以外の層においては)それほどいなかったようだ。が、2作目からのサード・シングル“Make It Happen”あたりで、〈ソウルっぽい〉では収まりようのない、もっとコッテリ濃厚なものを感じた人も多かったと思う。一般的にはバラード・シンガーのイメージが強かったものの、その当時からメインストリームとアンダーグラウンドの両者を股に掛けていたC&Cミュージック・ファクトリーをプロデューサーに迎えたり、クラブ向けのリミックスではわざわざヴォーカルを歌い直すなど、ダンス・ミュージックへのこだわりは強かった。同年に発表されたライヴCD『MTV Unplugged』では聖歌隊をバックに歌って、よりいっそう濃厚なブラックネスを明示。またも全米1位をマークしたジャクソン5のカヴァー“I'll Be There”のパフォーマンスの素晴らしさを語るのはヤボかもしれないが、大きなインパクトを与えることに成功した。〈実はライヴで歌えないのでは?〉〈あの高音はスタジオ技術の賜物じゃないのか?〉といったあらぬ噂もここで一気に払拭されたのだ。
93年にはトミー・モトーラとゴールインし、豪華なウェディングの様子が大々的に報道された。幸せいっぱいのマライアは続くアルバム『Music Box』の成功でさらなる幸せを満喫し、ひたすらシンデレラ・ストーリーを邁進する。それまでにもほとんどの楽曲でみずからペンを執ってきたマライアだが、連続で全米No.1を記録した先行シングル“Dreamlover”と“Hero”によって、ソングライターとしての資質も高く評価された。特に後者はいまもコンサートの定番曲であり、これぞ挫けそうになった人への元祖〈応援歌〉と呼べるだろう。翌年にはクリスマス・アルバム『Merry Christmas』を発表。そのシーズンになると必ず街に溢れる“All I Want For Christmas Is You”が日本でもTVドラマの主題歌として相当ヒットしたが、世界的にもクリスマス・アルバムとして破格の大ヒット作となっている。
そして、ついにR&B~アーバン路線が大胆に表立ってきたのが95年の『Daydream』だ。シングル“Fantasy”では客演にオール・ダーティ・バスタードを迎え、ヒップホップを消化した新しい方向性を提示。ボーイズIIメンとのデュエットで全米1位を16週も独走した“One Sweet Day”や、ジャーメイン・デュプリによる“Always Be My Baby”など、ロング・ヒットも続出した。が、いつの間にやらシンデレラ・ストーリーは幕を閉じていたようで、次なるアルバムでの彼女はニュー・マライアへと脱皮する。
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