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電気グルーヴ(2)

疾走するバカ野郎達の明日はどっちだ!

 電気とグルーヴ……この素晴らしいネーミングこそが電気グルーヴのすべてであろう。その結成は89年4月。最初のメンバーは石野卓球を中心に盟友のピエール瀧(当初はピエール畳)と若王子耳夫という、かのナゴムで活躍した人生の元メンバー3名に、高橋嵐を加えた4人。人生の頃は、非常にマニアックなエレポップ~ニューウェイヴ志向を持ちながらも、メイクやコスプレといったナンセンス的要素を目立たせていた彼らだが、電気においては、当時ハウスやヒップホップのレコードを買い倒し&聴き倒していた卓球の最先端志向と、人生から続く超ドメスティックなギャグセンスが合体。ヴォーカル・スタイルもナンセンスの極北のようなリリックのラップ調に変化し、サンプリングを多用したテクノ・サウンド──卓球が〈スラッシュ・テクノ〉と表現したところの──電気スタイルはインディー・デビュー作の『662 BPM BY DG』においてすでに確立されていた。歌詞やサンプリングの縛りがないぶん、この時期の彼らはもっとも毒々しい個性を出していたとも言える。

 90年当時は、名サンプラーのAKAI S1100が登場したこともあって、ディー・ライトの『World Clique』を筆頭に、ピチカート・ファイヴの『女性上位時代』、セイント・エティエンヌ『Foxbase Alpha』など、レコード・マニア的なアーティストたちはこぞってサンプリングを自作に導入するようになっていた(その流れの果てにはフリッパーズ・ギター『ヘッド博士の世界塔』が登場する)。『662 BPM BY DG』発表とほぼ同時に耳夫と嵐が脱退するも、新たにCMJKを加えた電気は、小室哲哉率いるTMNのシングルB面でメジャー入りを果たす。91年4月にはヒプノトーンのトニー・マーティンをプロデュースに迎えたメジャー・ファースト・アルバム『FLASH PAPA』をリリース。電気クラシックとも言える“電気ビリビリ”や“カフェ・ド・鬼”を収録した今作ではあったが、リリース直後には早くもCMJKが脱退してしまう。そこで〈まりん〉こと砂原良徳(当初は良徳砂原)を加えた彼らは、これまでの日本の音楽シーンにはなかったスタイル(当時はラップの部分が注目されていた)、メディア露出でのデタラメぶり(同年6月には「オールナイトニッポン」2部がスタートする)によって駆け足で人気を拡大していった。その勢いのまま『UFO』『KARATEKA』と1年半で3枚というハイペースな創作を続け、特に後者はオリコン13位にチャートイン。ここで人気は最初のピークに達する。が、その実態はティーンの女子がファン層の多数を占める〈おもしろおかしいアイドル〉的なもので、肝心の音楽はノヴェルティー扱いですらあった。ライヴ時間の半分以上を爆笑MCで埋める電気のサーヴィス精神にも責任はあったが……そんな状況に対して当事者、特に卓球はストレスを溜め込み、失踪することも多々あったという。

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2008年04月03日 11:00

更新: 2008年04月03日 16:44

ソース: 『bounce』 297号(2008/3/25)

文/石田 靖博

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