Mary J. Blige(2)
一人称のソウル・シンガー
71年にNYで生まれた彼女の本名はメアリー・ジェーン・ブライジ。88年にアニタ・ベイカーの曲を吹き込んだデモテープが、母親のボーイフレンドからジェフ・レッド(アップタウンのA&Rも務めたシンガー)の手に渡り、アップタウンとの契約を掴む。その後はレーベル代表のアンドレ・ハレルによって〈ヒップホップ・ソウル〉という言葉が提唱され、新進A&Rだったショーン“パフィ”コムズの仕切りでデビューを果たしている。
この〈ヒップホップ・ソウル〉というタームは、得てして字面の雰囲気のみで軽率に解釈されがちだが、メアリーを軸にしてこの言葉を突き詰めていくと、メアリーの歌が基本的に一人称によるドキュメントで綴られていることだったり、歌のテーマに彼女の本性や素性と隔たりのある架空のストーリーは用いられようがないといったことが、実はこのタームのもっとも重要なエッセンスであるとわかってくる。つまり、リアルなことを華燭な脚色なく、深みを増していく人間的な成長と共にリアルなまま歌い上げる。そして、快哉も、歓喜も、苦悶も、苦悩もすべてパーソナルに遠慮なく、躊躇せず、恥ずかしげもなく、最後の一語まで吐き出し尽くす──こうした〈ヒップホップ的な表現〉の核心にも通底する部分に比類なき才能とセンスを煌かせ続けているソウル・シンガー、それこそがメアリーJ・ブライジという女性なのだ。このスタンスはいままでも決してぼやけたことはなく、アーティストとしての哲学にも揺らぎは生じようもないので、ラッパーたちとの相互交流も不自然になることはないし、ヒップホップ・フィールドを現住所とするプロデューサー/トラックメイカーたちとの絡みもスムースさを失わない。いったんメアリーを前にしてしまったら、ヒップホップ・フィールドとのコラボレーションが顕著なぐらいで、それをすぐさま〈ヒップホップ・ソウル〉などとは決して言えやしないのだ。
その意味からすれば、前作にあたる7作目『The Breakthrough』(2005年)で見せつけたメアリー像は、それまでのキャリアにおけるアーティスト的な成熟があってこそ完成を見た〈真のクイーン像〉でもあり、さらに〈現状打破〉という表題が仄めかしているように、彼女は新たなソウル・トラヴェルへの起点をもそこにセットしていたように思えてならない。かくして同作は、シングル“Be Without You”のロングラン・ヒットにも引っ張られる格好で、セールスやチャート上の成果も記録づくめの作品集となった。この点においても間違いなく彼女はこのアルバムでキャリア上における一つのピークを形成したと言っていいだろう。
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