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特集

T. Rex (Tyrannosaurus Rex)(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2008年01月10日 10:00

更新: 2008年01月10日 17:28

ソース: 『bounce』 294号(2007/12/25)

文/小出 斉

ロック界に現れた巨大な恐竜!

 マーク・ボラン。本名はマーク・フェルドン。1947年9月30日、ロンドン生まれ。ギターを抱えてポーズを取り、〈9歳:エディ・コクラン・ファン〉と記された写真が残されているが、9歳といえば56~57年。マーク少年は、その当時のエルヴィス・プレスリーやコクランなどロカビリー~ロックンロールの波に呑み込まれていたわけだ。10代そこそこで初めてバンドを組んでモッズとなり、62年にタウン誌に登場。その後はモデルなどの活動を経て、65年にトビー・テイラーなる芸名で初のレコーディングを敢行。その曲はボブ・ディランとディオンのカヴァーだった。

 同年、EMIのオーディションに落ちた後、デッカと契約。ステージ名をマーク・ボランに変える。それ以前に付けられた〈Bowland〉を縮めたとか、〈Bob Dylan〉の最初と最後から取ったなどの説があるが、いずれにせよマーク・ボラン名義で65~66年にデッカやパーロフォンから3枚のシングルを発表し、人気TV番組「Ready Steady Go!」にも出演。成功はしなかったが、この間にDJのジョン・ピールから支持を受けるようになったともいわれている。

 67年にマネージャーのサイモン・ネピア・ベルからの発案で、ジョンズ・チルドレンにギタリストとして加入するも、数か月で脱退。やがて真性ヒッピーのパーカッショニストであるスティーヴ・ペレグリン・トゥックとコンビを組み、アコースティック・デュオ=ティラノザウルス・レックスの活動を開始する。ジョンズ・チルドレンでの欧州ツアー中に観たラヴィ・シャンカールに感化され、敷物の上に座って演奏するようになるのだが、そのユニークなスタイルはロンドンのアングラ・シーンで人気を集め、ほどなくしてトニー・ヴィスコンティに見初められることとなる。ボランの歌を聴いたヴィスコンティは、〈英詞だとは思わなかった〉というからおもしろい。

 ヴィスコンティのプロデュースにより、彼らは68年4月にシングル“Debora”を発表。同年7月には幻想的なイラストがジャケにあしらわれた『My People Were Fair And Had Sky In Their Hair... But Now They're Content To Wear Stars In Their Browns』でアルバム・デビューを果たす(UKでは最高15位を記録)。その3か月後には2作目『Prophets, Seers & Sages The Angels Of The Ages』を、翌69年5月にはハーモニウムやオルガンも使用してサウンドの幅を広げた3作目『Unicorn』を、立て続けにリリースした。

 この頃の彼らは難解で幻想的なボランの歌詞をウリにし、ユニークな編成もあって後のT・レックスとはかけ離れた印象を受けるが、しかしファースト・アルバムの冒頭を飾る“Hot Rod Mama”や“Weilder Of Words”、“Mustang Ford”などにロック感覚はしっかり宿っている。それはボランのモッズ魂からくるものなのか。そもそも“Debora”のアコギのカッティングからしてロックだし、この歌で多用される〈ダグリダッダグリダップ〉といった意味のない言葉は、ブギーのギター・カッティングと相通じたりする。

 ボランはもちろんだが、トゥックもクセ者だ。ラテン・パーカッションのような由緒正しい叩き方ではなく、ロック感溢れる“Conensula”や“Eastern Spell”での倍速的なプレイは、ほとんどフリー・ジャズというか(個人的にはアーチー・シェップの“The Magic Of Ju-Ju”を思い出す)、ドラムンベース的というか、類のないサウンドだ。この時代のトゥックの役割はもっと評価されて然るべき。だが、ドラッグ癖が原因であえなく解雇。代わりに画家であったミッキー・フィンが新パートナーとなり、71年に『A Beard Of Stars』を発表する。ロック色がより強まり、アコギ・ナンバー“Dragon's Ear”やエレキ曲“Elemental Child”などに、〈ボラン・ブギー〉の原型たるものが生まれた。

▼T・レックスの作品を紹介。

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