Duran Duran(2)
美形バンドならではの苦悩
というわけで、ニューロマだ。81年に彼らが『Duran Duran』でアルバム・デビューを飾った頃、ちょうどUKのミュージック・シーンを席巻していたのがこのムーヴメント。物凄く手っ取り早く説明するならば、メロディアスなニューウェイヴ・サウンド+お化粧の艶やかさ――だろうか。実際にデビュー当時のメンバー5人(ヴォーカルのサイモン・ル・ボン、ベースのジョン・テイラー、キーボードのニック・ローズ、ドラムスのロジャー・テイラー、そしてギターのアンディ・テイラー。現在はアンディ以外の4人で活動中。ちなみにここにテイラーの姓を持つ者が3人いるが、縁戚関係などはない)はボーイズ・バンドかと見まがうほど、抜群のルックスとスタイルで写真などに収まっている。80年代初頭の彼らの写真を眺めてみてほしい。〈ただのイケメン・バンド〉とぺったりレッテルを貼られてもおかしくないくらい、瑞々しくて愛らしい表情の青年たちがそこにいるはずだ。
そんなイケメンっぷりのみならず、時あたかもUSではMTVがスタートし、プロモ・クリップが宣伝ツールとして猛威を振るいはじめた時代。UKのニューロマ・バンドたちはサウンドのクォリティーはもとより、容姿のゴージャスさ(化粧の力もそれなりにアリ)と、視覚的要素への関心の高さがそのまま映像にも表れたプロモ・クリップとで、瞬く間にUSをはじめ世界的な人気を得ていくことになる。ちなみにキラーズやブレイヴァリーなど、近年のUSではこの時代のUKニューウェイヴ/ニューロマに影響を受けたバンドが数多く登場しているが、それは彼らの少年時代にUKロックが幅を利かせていたことが大きな理由だろう。なお、当時の状況のことを〈第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン〉とも呼ぶ。
もっとも、現象とも呼べるほどのバンド初期の爆発的な人気こそが──その後デュラン・デュランがいかに音楽的な関心の高さや野心を楽曲に反映させようとも──ある一定の年齢層の〈音楽マニア〉たちから正しく評価されなかった理由に他ならない。いまの言葉を使えば、〈腐女子のためのバンド〉と思われていたのだ。それを知ってか知らずか、デュラン・デュランは84年あたりからより幅広く、そして周囲を驚かせる音楽活動を行っていくこととなる。
例えば、サイド・プロジェクト。84年にはジョン・テイラーとアンディ・テイラーがデュラン・デュラン的なサウンドを打破すべく、元シックのトニー・トンプソンらとパワー・ステーションを結成。ロックとファンクを掛け合わせたサウンドは、驚きと共に支持された。一方で、85年には残りのメンバーであるサイモン・ル・ボンとニック・ローズ、そしてロジャー・テイラーもアーケイディアというユニットを始動。こちらは、それまでのデュラン・デュランの音が持つ雰囲気をより自由な形で深化させるというコンセプトを掲げ、スティングやハービー・ハンコックなど多彩なゲストを迎えて活動を展開していく。
バンドのメンバーがふたつに別れたこの時期が、ひとつのキーポイントだった。ドラマーのロジャー・テイラーはアーケイディアのメンバーでありつつ、パワー・ステーションの作品でもパーカッションで参加するなど、バラバラになりがちだったメンバー間においてある種の触媒としての機能を持っていたようだが、結果的には彼がデュラン・デュランをいちばん早くに離脱してしまう。86年に田舎で生活を送りたいとの理由から、バンドを正式に脱退したのだ。また、この頃にアンディ・テイラーがソロ契約を獲得。残りのメンバーは彼がデュラン・デュランの活動を続けると無邪気に信じていたものの、レコーディングへの遅刻などが目立つようになり、最終的には解雇することになってしまった。
そして残ったニック・ローズ、ジョン・テイラー、サイモン・ル・ボンの3人で作ったのが、86年の4作目『Notorious』。いま聴き返すとミニマルなフレーズが印象的なヒット曲“Notorious”をはじめ、バンドとしての音楽的な前進が見られるアルバムだ。しかし当時は、〈デュラン・デュランが成長を模索するために彼らならではの個性を失った〉という評価の声もあったという。
- 前の記事: Duran Duran
- 次の記事: Duran Duran(3)