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特集

DONT FIGHT IT, FEEL IT その後の音楽シーンに大きな影響を与えた〈バレアリック〉という考え方

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2007年09月20日 09:00

更新: 2007年09月20日 16:45

ソース: 『bounce』 290号(2007/8/25)

文/石田 靖博

 スペインから東に数百キロ。地中海に浮かぶバレアリス諸島を形成する島のひとつ、それがイビザである。70年代にはヒッピーの聖地だったらしいが、もともと風光明媚な土地だけあって、80年代に入るとヨーロッパ有数のリゾート地として発展していった場所である。ただ、かつてのヒッピー文化の名残は音楽と結び付き、ダンス・ミュージック天国となったのだ。そして、ヒッピー的なラブ&ピース感覚とリゾート地ならではの開放感、そこから湧き出るオープンマインドなこの島のDJプレイのマナーをバレアリック(バレアリス諸島が由来)と呼んだ。そんなイビザをUKの若手DJたち──ダニー・ランプリング、ポール・オークンフォルド、ニッキー・ホロウェイら──が訪れたのは87年のことだという。現地のクラブ〈Amnesia〉におけるDJアルフレッドのプレイ・スタイルに衝撃を受けた彼らがUKに戻ってそれぞれの〈バレアリック〉を再現したことで、このスタイルは一気に広まった。なかでもランプリングが体育館を会場にスタートした〈Shoom〉は、ウェザーオールらも輩出した重要なパーティーだ。では、〈バレアリック〉とは何だったのか? よく言われる〈バレアリックとは、すべてであり、ゼロだ〉という謎かけのような言葉がその本質を表していたとも言えるが、本来はディスコもソウルもロックも新旧問わず何でもプレイするという姿勢そのものを意味していた言葉であって、具体的なサウンドを表していたわけではなかった。

 ともかく、バレアリック人気がアシッドの流行にも絡んで〈セカンド・サマー・オブ・ラヴ〉を巻き起こし、いわゆる〈マッドチェスター〉をも包括するダンス要素の強いロック=〈インディー・ダンス〉の爆発へと繋がっていく。が、こうしたダンスの加熱ぶりは、やがて〈クリミナル・ジャスティス・アクト〉=レイヴ禁止法の施行へと繋がり、UKのクラブ・シーンがアングラなパーティーと合法的な商業レイヴへと二極化していくきっかけを作ったのだ。

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