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特集

Ozzy Osbourne(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2007年06月21日 11:00

更新: 2007年06月21日 17:38

ソース: 『bounce』 287号(2007/5/25)

文/山崎 智之

ブラック・サバスの誕生

 オジー(本名ジョン・マイケル・オズボーン)が生まれたのは48年12月3日、イギリスの工業都市として知られるバーミンガムでのこと。6人兄弟の4人目、長男として生まれた彼の家庭環境は貧しく、少年時代の夢は「配管工になること」だったという。彼はあまりの貧しさから万引きや空き巣などの犯罪に手を染め、刑務所に入所したこともあった。彼が自分のあだ名〈OZZY〉を指に刺青したのはこの時期だ。

 60年代初めのビートルズ旋風に感銘を受けたオジーは、みずからもヴォーカリストとしていくつかのバンドに加入するが、成功への道は遠かった。このままだとふたたび刑務所入りする日も近いだろう……と危惧した彼は、近所のクラブにメンバー募集の告知を出す。それに応じたのがベーシストのギーザー・バトラーだった。さらにドラマーのビル・ワード、ギタリストのトニー・アイオミを加えた新バンドは〈アース〉を名乗り、ブルース色の濃いサウンドでクラブ・サーキットを行うようになる。

 バンドにとってターニング・ポイントとなったのが69年、リハーサル・スタジオの向かいにある映画館で上映されていた「ブラック・サバス 恐怖!三つの顔」である。このイタリア製ホラー映画のポスターを見たトニーが「みんな怖い目に遭いたくって金を払うなんて、おもしろいと思わないか?」と言い出し、書き上げたのが“Black Sabbath”だったのだ。凄まじくスロウでヘヴィーなこの曲は話題を呼び、アースを名乗るバンドが他にも存在したこともあって間もなくバンド名をブラック・サバスと改名。70年1月にシングル“Evil Woman Don't Play Your Games With Me”を発表し、翌2月にはファースト・アルバム『Black Sabbath』で本格デビューを果たす。

〈黒い安息日〉と名付けられたこのアルバムは、当時イギリスのお茶の間にも浸透しつつあった黒魔術/オカルト・ブームを反映した作品だった。重苦しく沈んだタイトル曲や〈われの名は魔王ルシファー〉と名乗る“N.I.B.”といった楽曲に加え、魔女が佇むジャケット・デザイン、逆さ十字架と神秘主義的な詩が添えられたインナーのアートワークなどもインパクト大な同作(しかもリリース日をわざわざ13日の金曜日に設定!)は、当時のロック・シーンに衝撃をもたらした。

 ブラック・サバスは、ヘヴィーなサウンドと社会でタブーとされてきた題材を描いた歌詞で人気を獲得する。恋人に捨てられ、社会から阻害された男の狂気を歌った“Paranoid”は全英チャート1位に輝き、彼らは一躍トップ・バンドの仲間入りを果たした。さらに兵士たちを戦地に送って私腹を肥やす政治家についての曲“War Pigs”、若者たちに革命を促す“Children Of Crave”、〈甘い葉っぱ〉=マリファナをテーマにした“Sweet Leaf”などは、ロック史に残る名曲として後続アーティストに多大な影響を与えている。サバスは〈ヘヴィーメタル〉と呼ばれる音楽スタイルの礎を確立したオリジネイターであるのと同時に、社会の良識が隠そうとするダーク・リアリズムを露わにするカウンター・カルチャーの英雄だった。

 だが、急激な成功とハードなツアー/レコーディングの繰り返しは確実にメンバーの精神を蝕んでいき、彼らは酒や女や薬物(“Fairies Wear Boots”や“Snowblind”などは露骨なドラッグ・ソング)に溺れた。6枚目のアルバム『Sabotage』(75年発表)のレコーディング中に幽霊が現れたと言われているが、オジーいわく「幽霊が見えるほどラリっていた」そうだ。結局精神を病んだオジーは脱退と再加入を繰り返し、78年にサバスから正式に解雇されるのだった。

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