BORN SUPREME : 1944-69(2)
シュープリームスの誕生
44年3月26日、ダイアナ・ロスことダイアン・アーネスティン・アール・ロスはミシガン州デトロイトに生まれている。両親は南部のアラバマから職を求めてデトロイトへ移住。父フレッドは自動車工場で働き、母アーネスティンは家政婦をしていたが、一家が暮らしていたのは低所得者層が住まう公営団地だった。幼い頃から活発でスポーツ万能、歌や絵にも興味を持ちながら近所の悪ガキ男子ともつるんでいたというダイアナ。そんな彼女が14歳の頃に誘われたのが、プライメッツというグループだった。プライメッツはフローレンス・バラード(通称フロー)、メアリー・ウィルソン、ベティ・マクグロウンという同じ団地に住む友人の4人で結成。もともとはエディ・ケンドリックスらのいたプライムスのマネージャーに提案されてフローが始めたグループで、59年に活動を開始している。早速ダイアナのご近所さんだったスモーキー・ロビンソンを頼りに、4人はモータウンのオーディションを受ける。だが社長のベリー・ゴーディJrは、落ち着きがなく経験の足りない彼女たちを「高校を卒業してから来なさい」と突っぱねたという。それでも地元のタレント・コンテストで優勝した彼女たちはルパインと契約し、60年にシングルを発表。シャンテルズなどを思わせる当時らしいガール・ポップス曲だったが、しかしこれはヒットしなかった。
結局モータウンを諦めきれなかった彼女たちは社屋に通い、バック・コーラスなどの仕事を得る。そして、学業に専念するため脱退したマクグロウンに代わってバーバラ・マーティンが加入すると、61年1月に晴れてモータウンと契約。グループ名もシュープリームスと変えた。ただダイアナは当初、フローが選んだ〈Supreme(至高)〉という大上段に構えた名前に難色を示したという。
モータウンからの初シングルは61年の“I Want A Guy”。制作はゴーディで、当時リード・ヴォーカルは決まっていなかったが、この曲はダイアナ(当時の名義はダイアン)がリードを担当した。この後しばらくしてバーバラが結婚のため脱退。こうしてダイアナ、フロー、メアリーのトリオ体制がスタートし、以後もゴーディやスモーキーらが手掛けたシングルを発表していく。だがヒットが出なかった。同じ頃、社内ではマーヴェレッツが“Please Mr. Postman”を大ヒットさせていたが、〈至高〉なはずの彼女たちはその名前とは裏腹に燻っていた。
それでもダイアナだけはくじけず、持ち前の強引さで人目を惹くことなら何でもやったという。結果、それがモータウンのソングライター・チーム、ホランド=ドジャー=ホランド(H=D=H)の目に留まる。そして彼らの書いた“When The Lovelight Stars Shining Through His Eyes”が63年12月に全米23位を記録。リードを歌うダイアナの声は甲高くクセがあるが、キーを下げれば万人受けするようなソフトな声になるというH=D=Hの判断で、ダイアナはようやく正式なリードに任命された。それが間違いでなかったことは、64~65年にかけて“Where Did Our Love Go?”“Baby Love”“Come See About Me”“Stop! In The Name Of Love”“Back In My Arms Again”と、H=D=H製のシングルが5曲連続で全米チャート1位に輝いたことで証明された。
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