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特集

和田アキ子(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2007年02月22日 16:00

ソース: 『bounce』 283号(2006/12/25)

文/久保田 泰平

〈ミナミのアコ〉見参!

 大阪・ミナミにあるジャズ喫茶〈ナンバ一番〉では、ビートルズやローリング・ストーンズを夢見る若者たちが、稚拙ではありながらフレッシュな演奏を聴かせていた。後にグループ・サウンズ・ブームの立役者となる連中も出入りしていたそのなかに、10代半ばの和田アキ子もいた。彼女は〈ミナミのアコ〉としてそこいらではかなり知られていた不良少女だった。家にはほとんど帰らず、親に言われるがまま入学した高校も三日で退学(学校側から宣告されたのではなく、みずから届け出た)。友人の家やホテル、あちこちのジャズ喫茶を寝城にしていたという筋金入りだ。とはいっても、タダのゴロツキではなかった。中学生のときに「この人は目がご不自由で大変な人だから、私がレコード買ってあげなきゃダメだ」(KTC中央出版刊「わたしはあきらめない」より)と思って買ったレイ・チャールズのレコードをきっかけにリズム&ブルースやジャズの魅力に、さらには歌うことの楽しさに目覚めた彼女は、頻繁にステージにも立ってお客を楽しませていた。向こうっ気ももちろん強く、まわりの年上連中ですら尻尾を巻くほどの彼女だったが、それ以上にその歌声のダイナミックさは圧巻だった。当時のジャズ喫茶では、シンガーやバンドが思い思いの曲をカヴァーして歌う(演奏する)こともできたが、大抵はお客からリクエストされたものを歌わされることが多く、それこそ歌謡曲や演歌まで歌っていた彼女。〈ビートルズ? よう知らんわ〉なんていうお客も珍しくなかったわけだ。しかし、そんな環境にヘコたれることも当然なく、彼女は歌うことを楽しみ、その歌声を堂々と響かせていた。こんなやつおらへん! そんな彼女の歌がそれなりの人の目に止まるまでは、さほど時間はかからなかった。17歳のとき、現在も所属するプロダクション、ホリプロのスカウトマンが彼女の評判を聞きつけやってきた。毎晩飲んで(っつうか未成年じゃん!)、好きな歌だけ歌えればいい、ぐらいにしか考えていなかった彼女だけに、当初は半信半疑。最終的にプロダクションの社長直々に口説かれて、デビューを決意する。

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