WHAT MORE CAN I SAY(2)
引退が意図したもの
こうして、純粋に作品内容やセールス面での達成感から見れば、ジェイ・Zが引退を選んだ理由もわからなくはない。だが、達成感には、引退してみて初めて実感できるものもあるはずだ。自分が引退したらリスナーやシーンはどう変わるのか(あるいは変わらないのか)、引退後の自分の人気の行方はどうなのか(引退から1年後に引退ライヴのドキュメンタリー映画「Fade To Black」を公開している)、また、復帰を求める声が早々に上がってくるのか、そして自分は本当にキングなのか(だったのか)……何よりもそれを知りたかったのではないだろうか? ナズとのビーフも、デビューから5年経った2001年、そろそろキングの座をハッキリ決めてもいい時期に表面化したものだし、2002年にはR・ケリーとのデュオ・アルバムを『The Best Of Both Worlds』と名付け、ヒップホップ界代表であることを自任している。そのナズとのビーフ解消は2005年。時代の趨勢からいっても、50セントらの台頭もあってもはやナズをキングと言い切ることが難しい時期になってから行われているし、ジェイ・Zの引退宣言が50セント一色でカニエの到来が待たれていた時期に行われたことにも注目したい。表面上シーンをリードするアーティストが入れ替わったタイミングで、あえて引退してまでもキングとしての自分の影響力を確かめたかったのだろうか。また、その時点で、自分が将来的にロッカフェラのCEOとしてレーベルを切り盛りし、アーティスト時代とはまた質の異なる影響力をシーンに及ぼすことになる、と想像していたのだろうか。ただ、デフ・ジャムのCEO就任までは想定外だったのでは……。恐らく引退表明当初は、流石に現実的/物理的にシーンから完全に姿を消してしまうことに後ろ髪を引かれたのか、前述したようなジェイ・Z独自の解釈による〈引退〉に落ち着いたのだろうが、結果的にはそういうこととは別次元で、複数のレーベルの幹部として、これまで以上にシーン全体を見渡し(前述したように、もともとそういう人ではあったのだが)、しかも深いところでシーンに関わり、実際に影響力を及ぼしてしまっているのである。
- 前の記事: WHAT MORE CAN I SAY
- 次の記事: WHAT MORE CAN I SAY(3)