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その時歴史が動いた──ジェイ・Zが歩んだ王道を再検証しよう
〈いよいよ〉というか、〈やはり〉というか、〈ようやく〉というか、ジェイ・Zがニュー・アルバム『Kingdom Come』をもって復帰を果たした。彼が引退を表明して記者会見を開いたのは2003年11月のことだ。つまり、丸3年間引退していたことになる。ただしこの間、多くのリスナーがいまひとつ納得できなかったように、引退したというわりには、R・ケリーとのツアー(ケリーの離脱によってすぐさまロッカフェラのツアーに変更されたが)をはじめとするライヴ活動やリンキン・パークとの共作アルバムなどによって、そのつど注目を集めていたことも事実である。
どうやらジェイ・Zの言う〈引退〉とは、単独名義での楽曲のレコーディング活動からの〈引退〉ということだったらしく、彼のなかでそこはきっちりと線引きをしていたようだ(でなければ、ビヨンセといっしょに音楽活動ができない)。だから、その一線を越えてしまうような、実質的なソロ曲“Dear Summer”はメンフィス・ブリークのアルバム(2005年の『534』)に収録し、〈featuring Jay-Z〉名義で発表するという〈いいわけ〉までしたのだった。つまり、他のアーティスト名義の曲に客演することや、ライヴ活動を展開することは、ジェイ・Z自身の解釈だと十分に〈引退アーティスト〉に許された範囲内の活動だったのだろう。逆に言えば、〈ジェイ・Zとしての新曲〉を1曲も出さなかったというだけで、それ以外の面では〈引退〉以前のとおりだったし、それどころか、むしろ活動の幅は広がったとも言える。もっと言えば、自分名義のアルバムを出さねばならないプレッシャーから解放され、特に精神的に身軽になった状態で活動していた、ということにもなる。
駆け足でシーンの頂点へ
96年6月に『Reasonable Doubt』にてアルバム・デビューを果たした時点でのジェイ・Zは、〈新人〉のわりにはシーンの状況(力関係)やトレンドを意識し、それらを巧みに作中に採り入れていた。DJプレミアに数曲でビートを提供してもらうことは思いつくとしても、この段階で実際にメアリーJ・ブライジとノトーリアスBIG、そして(サンプリングにとどまったものの)ナズを召集してアルバムを作り上げ、さらに翌年の『In My Lifetime Vol. 1』には、パフ・ダディ、ベイビーフェイス、テディ・ライリー、トゥー・ショートをフィーチャーしてしまっているのだ。ジェイ・Zとしては、早くも〈アルバムを1枚リリースした後に引退する〉という構想があったようだが、『Reasonable Doubt』が思いのほか好評だったため、調子に乗っていきなり大きな態度に出て、ここまで業界内の力関係を強調した人選とそれを明快に表した音作りにしたのが、その『In My Lifetime Vol. 1』だった。作品的な評価には恵まれなかったものの、ここで派手な動きに出たことは、次の『Vol. 2...Hard Knock Life』(98年)が彼のキャリア最大のセールスを記録したことを考え合わせれば、大正解だったと言える。〈Vol. 1〉はすでに大きな成功を手にした先達を見上げながらも、その繋がりを誇示することで、自身をも限りなく彼らのレヴェルに近い場所にまで押し上げておこうとするものだった。一方の〈Vol. 2〉では向きを変えて、自身がマイクを握るヴァースを減らしてまでも、後続の新進ラッパーたち(弟分のメンフィス・ブリークはもちろん、DMX、ジャ・ルール、ビーニー・シ-ゲルら)を積極的にフックアップし、彼らに躍進の足掛かりを提供している。ここに至って、ジェイ・Zは名実共にシーンのトップに立ったのだった。3部作の最終章となった99年の『Vol.3...Life And Times Of S.Carter』の方向性にやや迷いがあったのは、当初はレーベル・コンピとして計画されていた、次の『The Dynasty : Roc La Familia』を、自分名義の通算5作目として発表し、目先を変えて見せたところにも現れている。それでも後者は、ロッカフェラというレーベルを最大限にアピールし、その後のジェイ・Zの活動方向のみならず、シーン全体にとって非常に重要な人材へと育つカニエ・ウェストやジャスト・ブレイズをいち早く投入したことで、注目すべき作品となっている。
そのおかげで、次の『The Blueprint』では、ジェイ・Z個人としての作品作りに恐らくはデビュー作以来初めて集中することができた結果、自分以外は誰も知らない私生活のことや自身の心情を素直にライムに表現。3部作のタイトルに共通してあった〈Life〉というテーマが、ここに至って初めて楽曲としてしっかりと実を結んだのだった。ジェイZは〈Vol. 3〉発表前までは、〈3部作と言わず、4部作でも5部作でも続ける〉と語っていたが、『The Blueprint』はシリーズ第4弾、次の『The Blueprint2 : The Gift & The Curse』はシリーズ第5弾だったとも言える(2枚組となった後者に冗長な面があったことは当人も否めなかったのか、その後、収録曲を1枚分に選りすぐった『The Blueprint 2.1』をひっそりと出している)。この2作の間には企画ライヴ盤『Unplugged』もあったが、ジェイ・Zは2枚目のアルバムから〈The Blueprint2〉まで、毎回一貫したテーマでアルバムを作り続けてきたとも言える。だからこそ、アルバムを出すたびに、単なる周囲の噂ではなく、彼自身が引退をちらつかせてきたのだろう。2003年の『The Black Album』は、『The Blueprint』で得た曲作りの〈ツボ〉を『Reasonable Doubt』で描いた時代よりもさらに前の時代の〈Life〉に当てはめたという点で、まさに引退アルバムに相応しい、いい意味で〈ダメ押し〉の作品だったのだ。