Everything But The Girl(2)
クラブ・シーンへの接近
94年、ブリティッシュ・フォークのヴェテランも参加した7作目『Amplified Heart』を発表。それからまもなく別のスピーカーからは妖艶なダブワイズ・サウンドの隙間を浮遊するかのように、トレイシーの声がゆったりと響き渡った。マッシヴ・アタックの『Protection』でタイトル曲にトレイシーが参加。そして『Amplified Heart』からの“Missing”は、トッド・テリーによるハウス・ミックスが施され、最終的に全英3位、全米でもポップ・チャートで2位まで上り詰めて世界的に大ヒット。2005年にリリースされた『Adapt Or Die:Ten Years Of Remixes』の〈Ten Years〉とは、まさに“Missing”の大ヒットからの10年を機としたものだった。その2つの出来事とドラムンベースとの出会いが、2人をダンスフロアへと導いた。
ブランコ・イ・ネグロの閉鎖のためにヴァージンへと移籍した後、96年にリリースされた『Walking Wounded』は、ドラムンベースやダウンテンポの導入というシフトチェンジが衝撃を与えた。EBTGのリミックスを手掛けていたアダムFの『Colours』でトレイシーは“The Tree Knows Everything”をドラマティックな昂揚感のある名曲に仕上げ、ディープ・ディッシュとの共演作“The Future Of The Future(Stay Gold)”もヒット。99年の『Temperamental』で、よりエレクトロニック・モードの奥行きを深めたEBTGは、拡大するダンス・ミュージック・シーンの象徴的な存在となり、トレイシーはエレクトロニカの歌姫として、ベンもクリエイターとしての地位を確立させた。
21世紀のボサノヴァとドラムンベースを解釈したベンは、ファビオやロニ・サイズら要人たちとの親交を深めてドラムンベース・スタイルの精度を高めつつ、ディープ・ハウス主体のパーティー〈Lazy Dog〉をジェイ・ハナンとスタート。ミックスCDも2枚リリースし、人気のコンピ・シリーズ『Back To Mine』でもEBTGの矛先を提示した。その後、みずからバジン・フライを設立し、同名イヴェントも主催。〈90年代前半は迷いがあった〉とベンが冗談交じりに吐露していたが、プロデューサー、リミキサー、DJ、レーベル・オーナーとしての精力的な活動からは、まるで新人のようなモチヴェーションが伝わってくる。
ソウル・ヴィジョンとの共演作“Tracey In My Room”などダンサブルなEBTGを含むコンピ『Like The Deserts Miss The Rain』やリミックス集〈Adapt Or Die〉があったものの、EBTGのアルバムはしばらく届いていない。しかし、いまから楽しみなのが、来年2月にリリースが予定されているトレイシーの――25年ぶりの!――ソロ・アルバムだ。ユアン・ピアスン、チャールズ・ウェブスター、マーティン・ホイーラー(ヴェクター・ラヴァーズ)、ケイジドベイビー、ラプチャーのゲイブ・アンドルッツィら、これまた過剰に期待してしまうサポーターのもと、アルバムはほぼ完成しているという。
近年のエレクトロニック志向も、ヴェテランにありがちな取ってつけたようなアンチエイジングではない。自分たちの音楽を貪欲に探求する姿勢は、彼らのオールド・スクール時代からも窺い知れる。トレイシーとベンの現在に身を委ねるのもいいし、逆にこの10年の彼らしか知らないのなら、紙ジャケットで風合いが増した〈EBTGポップス〉のリイシューに普遍的な感動を得られるはず。『Eden』も『Temperamental』もEBTGであることに変わりはないのだから。