Johnny Cash(2)
うなだれて泣き濡れる俺
最初の一歩は54年、軍の除隊後に故郷アーカンソーと境を接するテネシー州メンフィスへ移り住んでから。さまざまな職を転々としながらゴスペル・ヴォーカル・グループを結成。同年、メンフィスのローカル・レーベル=サンにおけるサム・フィリップスのオーディションをグループで受けて(辛くも)合格。だが、フィリップスはキャッシュにこう助言する、「お前は(ゴスペルではなく)自分の音楽をやるべきだ」と。そして翌55年、キャッシュは“Hey Porter”をリリース。すでにゴスペル・グループの面影もないこの曲は、チャック・ベリーを彷彿とさせる曲調のロックンロールで、全米カントリー・チャート14位に達するヒットを記録した。同年には“Folsom Prison Blues”をリリース。この曲の歌詞の一部を抜き出してみよう。
〈俺がまだガキだった時オフクロに言われたもんだぜ/おまえ、やくざな道に進むんじゃないよ。お願いだから拳銃なんていじりまわさないでおくれ/だのに俺は死に様を見たくてレノの男を撃ち殺してしまった/汽笛が聞こえるたび、うなだれて泣き濡れるこの俺さ〉――刑務所にぶちこまれた男の心情を、物騒なリリックで綴った歌。これが最初はゴスペル・シンガーをめざしていた男の書いた詞なのだと考えると、キャッシュが心の内面で抱え込んでいた闇の深さを感じないわけにはいかない。〈本当の自分とは、そのような邪悪な人間なのだ〉という自己規定。これもまた、深い心の傷の裏返しかもしれない。58年にはメジャーのコロムビアに移籍、以降28年に渡って同レーベルで活動を続けていく。ヒット曲も多く放ち、一見順調で栄光に包まれた時代という感じだが、実際の彼の人生というものはこの後スターの階段を駆け上がれば上がるほどさらに紆余曲折の度合いを強めて行く。音楽的には、メキシコ音楽のエッセンスを取り入れたり、フォーク・シンガー的な作品作りに挑んだりと、カントリー音楽のフィールドを飛び越えた意欲的な活動ぶりも目立つが、60年代半ばには重度のドラッグ依存症に陥り、65年にはアンフェタミン所持罪で逮捕。文字どおり〈獄に繋がれて罪を償う〉身を体験、この後の3年に渡る長いリハビリ期間中には最初の妻との離婚も体験。アウトロー的な虚勢の裏側にいつも潜み続けた〈愛し、愛されたい〉〈理解し、理解されたい〉という渇望。矛盾やトラウマや渇望を抱え込みながら走り続けてきたキャッシュの心は、60年代半ばの時点でぼろぼろに傷つき、もはや自力では走れない限界に達していたのだろう。
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