Johnny Cash
「ハロー、アイム・ジョニー・キャッシュ」――こう簡潔に挨拶し、ネックを下に向けた独特の構えでギターを弾きながら歌いだす。歌詞はこんな感じだ。〈どうして俺がいつも黒装束なのか?って思っているんだね/いつも黒しか身に付けず陰気臭いのはどうしてだろう?って訝んでいるんだろう/そんな服装をするのにも俺なりのわけがあるのさ/貧しい人たち、打ちひしがれた人たち、絶望のどん底、貧民街で生きる人たちのために俺は黒い服を纏う/獄に繋がれて罪を償う囚われ人のため俺は黒い服を纏う〉。彼の歌から立ち昇る匂い、孕んだ空気感、身に纏う雰囲気は、やばくて、不穏で、ダークなものが圧倒的に多い。そして、夜の闇のように深く響く凄味を湛えた低音ヴォイスによるヴォーカルが、そのムードを増幅させる。カントリー音楽に対して〈保守的な音楽〉というイメージを抱いている人は、きっと例外なくこのリリックと、闇のような歌声の深さに戸惑うことだろう。
悪魔は良い子を奪った
アメリカの音楽史にその名を深く刻み込む伝説の人、ジョニー・キャッシュ。55年にデビューしてから2003年に他界するまで、彼が放った全米ヒットは140曲にものぼり、グラミー賞も10回獲得、カントリー協会やロックンロールの殿堂入りも果たしている。この記録だけを眺めれば、カントリー音楽の大御所そのものだが、キャッシュの音楽には、〈保守的な白人層の音楽=カントリー音楽〉というステレオタイプに収まりきらない大きさがある。彼のサン時代のレーベルメイトであるエルヴィス・プレスリーは、白人でありながら黒人音楽のエッセンスを(腰のくねらせ方までも含め)大胆に採り入れ、良識ある保守白人層の眉を顰めさせる一方でゴスペル音楽をたびたび歌い、敬虔なキリスト教徒としての素顔も隠さなかった人だが、キャッシュの音楽はプレスリーのそれに輪をかけて〈聖〉と〈邪〉のせめぎ合いぶりが著しい。さまざまな矛盾をトラウマとして抱え込んだひとりの人間が、生きるための光を求めるように暗闇から、赤裸々にその時々の真情を吐露し続けているような切迫感が(特に若き時代の録音には)充満している。苦しみのなかで神にすがり、葛藤のなかでドラッグに手を出してどっぷりはまり、そこから抜け出すために自力更生ではなく、誰よりも愛というものを必要としたキャッシュ。彼の音楽からは、白人=差別する側(優位に立つ側)/黒人=差別される側(不利益を蒙り続ける側)というような、単純な図式だけでは決して割り切れない、アメリカという多民族の集合体が抱え込んできた人々の葛藤~白人の最下層にいる人々の心の痛みや、そこから逃れるための救いを求める気持ちというものがリアルに伝わってくる。カントリー音楽の本質とは、実はこういうものではなかったか? 社会の底辺に生きる人々の心の痛みや葛藤をリアルに伝えるという意味で、キャッシュの音楽は、保守的なポップ・カントリーよりもむしろエミネムのラップに近い、とも言えるだろう。
アメリカにまだ大恐慌時代の暗い影が立ちこめていた30年代、アーカンソーに生まれたキャッシュ。一家は失業救済局の作業場で暮らし、綿花栽培の小作で生計を立てていた父親は、貧しい暮らしのフラストレーションから酒に溺れ、しばしば家族に暴力を振るったという。そのような暮らしのなかでキャッシュ少年に救いや希望や歓びを与えてくれていたものが、牧師をめざしていた優しい兄の存在と、ラジオから流れてくるゴスペルやカントリー音楽であり、とりわけ彼を夢中にさせたのが、40年代当時に絶大な人気を誇っていた有名なカントリー音楽一家=カーター・ファミリーだったという。
そこに突如訪れた悲劇──最愛の兄の事故死と、その事故後に父親から浴びせられたというあまりに悲しい言葉、〈悪魔は良い子のほう(兄)を奪った〉。これを12歳の少年が体験してしまったのだ。そんな少年時代の過酷な体験、そのなかでの愉しみや癒しとしての音楽との出会いのすべてが、後のキャッシュの音楽活動に反映されていく。
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