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世界に広がったニューオーリンズ・ヴァイブ

あの街からは美味い料理が次々と運ばれてくる、それは腕の立つ料理人が揃っている街だからだ──そんなイメージを外からニューオーリンズを眺める者たちは抱いていたのかもしれない。ミーターズがファースト・アルバム『The Meters』を出したのが69年、その仕掛け人であるアラン・トゥーサンの仕事もいろいろと脚光を浴びていた時期だ。そして70年代初頭、ロック・シーンにはにわかにニューオーリンズ・ブームが沸き起こった。

 先駆けだったのはザ・バンド。アラン・トゥーサンが彼らのアルバム製作に関与することとなる。その後、アメリカ発見アルバム制作に際してかの地に目を向けたヴァン・ダイク・パークス、そして彼のセッションに参加してトゥーサンのトリコになったローウェル・ジョージ率いるリトル・フィートといったメンツの新作で、大きくニューオーリンズ・サウンドがフィーチャーされた。そして72年、ドクター・ジョン渾身の一発『Gumbo』がシーンに放たれ、ビッグバン的な衝撃を与える。ルーツを見つめようとする目にも、未知なる物を探そうと目にも強烈なフラッシュ的ショックを与えていた当時のニューオーリンズ・サウンド。良い耳を持つ音楽家なら誰しも反応せずにはいられないリズム・マジックが、その土地から発信される音楽には多く含まれていたわけだ。その頃になると、ミーターズのセカンドライン・ファンクは外地のソウル、ファンク・バンドにとってもお手本的存在として見られるようになっており、特に南部あたりにその類の音を出す連中が多く出てきていた。もちろん、マジカルなリズムの魅力は海外へも伝わり、UKのフランキー・ミラーをはじめとするブルーアイド・ソウル系シンガーたちを魅了。やがてわが国にもブームは飛び火し、大滝詠一、細野晴臣らポップ音楽の探求者たちがヴィヴィッドな反応を示している。

 さて、時は飛んで80年代終盤。ネヴィル・ブラザーズがダニエル・ラノワと邂逅し、名作『Yellow Moon』を誕生させた頃だ。ボブ・ディランがかの地で新作を録音したとか、数多く出てきたブラス・バンドのなかの最高チームであるダーティ・ダズン・ブラス・バンドがエルヴィス・コステロと共演……などというニュースが入ってくる。街の外の音楽(家)と積極的に交流することでニューオーリンズの音楽シーンはまた活気づいている、そんなふうに見えたりしたものだ。そうやってまた新たに並べられた美味い料理の数々。それにつられて、外の人々がニューオーリンズに吸い寄せられていく光景は、70年代初頭の音楽シーンと実によく似ていた。

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2006年08月17日 11:00

更新: 2006年08月17日 22:07

ソース: 『bounce』 278号(2006/7/25)

文/大石 始、桑原 シロー、出嶌 孝次

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