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特集

JAPANE FOLK ERA 日本のフォーク・シーンとその変遷

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2006年05月18日 11:00

更新: 2006年05月18日 20:28

ソース: 『bounce』 275号(2006/4/25)

文/編集部

1965~
 日本のフォークはどこからはじまったのか。それを紐解くことは容易ではないが、キングストン・トリオやブラザース・フォーがアメリカから日本に輸入され、東京の学生がそれらアーティストのカヴァーをはじめたことがスタートとされている。そして66年にマイク真木の“バラが咲いた”がヒットすると、そこからフォーク調の曲、いわゆる〈カレッジ・フォーク〉と呼ばれるものが次々と量産されることになる。そして一般的に甘口と捉えられていた東京のカレッジ・フォークに対して、関西では着々とアングラな体制が整えられていた。66年に高石友也が東京から大阪に移住し、翌67年にはザ・フォーク・クルセダーズが“帰ってきたヨッパライ”でヒットを飛ばす、とその勢いは高石らによる69年の〈アングラ・レコード・クラブ〉、通称URCの設立へと結実する。高田渡や遠藤賢司、はっぴいえんどなどを続々と輩出し、日本初のインディー・レーベルとして隆盛を極めていく。

ザ・フォーク・クルセダーズ 『紀元貮阡年』 
URC/avex io(1969)

  関西フォークのはじまりを告げる“帰ってきたヨッパライ”を収録したフォークルの大名盤。サウンドの凝り具合も鮮烈だが、“悲しくてとてもやりきれない”などのメロディー・センスも素晴らしい。

早川義夫 『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』 
URC/avex io(1969)

  元ジャックスの早川義夫によるファースト・ソロ。ジャケの無垢なおどろおどろしさそのままの、全編に渡る早川による自作自演と独白の暗黒ムードは時代性に依らず、鈍くギラつき続けている。

1970~
当時の日本は〈70年安保〉に反対する学生運動の真っ只中で、フォークという単語は主張のための大きな武器として利用されていく。そんななかグレープやかぐや姫、吉田拓郎、井上陽水など、さまざまなアーティストがデビューを果たし、フォークという単語には多様な意味が持つようになっていった。

加川 良 『教訓』 
URC/avex io(1971)

  70年のフォークジャンボリーで鮮烈にデビューした加川良のデビュー作。高田渡やはっぴいえんどといった錚々たる演奏陣にも負けない、加川の堂々かつソウルフルな歌唱がたまらない。

遠藤賢司 『満足できるかな』 
ポリドール(1971)

  いまなお元気バリバリなエンケンのデビュー作。ヒョロヒョロとしたヴォーカルと、表題曲の爆発的テンション――。この頃からすでに唯一無二の〈純邦楽家〉だったのだ。

三上 寛 『ひらく夢などあるじゃなし』 
URC/avex io(1972)

  突如現れた異形の怨歌師。声帯から血を吹き出さんばかりの壮絶ヴォイスと、あまりにスレスレかつドラスティックな歌詞が立ち並ぶ。曲のタイトルもまた凄いが、その暴力的インパクトはいまなお絶大だ。

よしだたくろう 『人間なんて』 
エレック/フォーライフ(1972)

  ズバリ〈フォーク〉というイメージを端的に決定づける名作。冒頭の表題曲から大ヒット曲“結婚しようよ”という流れやソウルフルな後半など、その天然な才能は後のニューミュージックを示唆している。

なぎらけんいち 『葛飾にバッタを見た』 
URC/avex io(1973)


  TVCMでお馴染みのペーイチ兄さんの2作目。“悲惨な戦い”をはじめ、瑞々しい声が心地良い。下町とカントリーの折衷が生んだ傑作には、高田渡も参加。

1975~
そして、75年にバンバンが歌う、フォーク・ムーヴメントの終焉を示唆する“「いちご白書」をもう一度”のリリースを契機とするかのように、時代はニューミュージックへと推移していくのである。

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