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特集

ROOTS MUSIC & POEMS 高田渡の血肉となった音楽と言葉たち

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2006年05月18日 11:00

更新: 2006年05月18日 20:28

ソース: 『bounce』 275号(2006/4/25)

文/加賀 龍一

 言わずと知れたことだが、高田渡の音楽家としてのスタートは、60年代当時のアメリカにおけるフォーク・リヴァイヴァルの影響から来ていて、ウディ・ガスリーやピート・シーガーといったフォーク・シンガーに傾倒していた。なかでもシーガーへの心酔ぶりは尋常ではなかったらしく、シーガー本人に宛てたファンレターを送りつけたりしていたそうだ(その後、シーガーから〈君はもう少し英語を勉強したほうがいい〉という返事を頂戴するというオチがつくのだが)。

 他にもウディ・ガスリーの正統後継者と言われるランブリン・ジャック・エリオットもリスペクトしており、好きが高じて74年に加川良やなぎら健壱、友部正人らとジャックの来日公演の際には前座を務めている。また、音楽性、生き方においてはピート・シーガーであったが、その卓越したギターのフィンガー・ピッキングは伝説のブルースマン=ミシシッピ・ジョン・ハートからの影響が強い。

 そして、そのようなフォーク・シンガーからの影響によるひとつのスタイルが、歌い継がれている他作のフォーク・ソングに自作の詞をつけて歌うという手法である。デビュー作『高田渡/五つの赤い風船』に収録されている“自衛隊に入ろう”はマルビナ・レイノルズ(ピート・シーガーも歌っている)、“現代的だわね”はウディ・ガスリー、“冷やそうよ”はハンク・ウィリアムスとそれぞれ既存の曲を〈元ネタ〉にし、新しいオリジナルの命を注ぎ込んで世に送り出していったのだ。もちろん、ただのカヴァーやパクリに終始するのではなく、稀代の銀行強盗だったジェシー・ジェイムズの曲を現代的に解釈して“三億円事件の唄”を作ったように、当時の世俗にリンクしたユーモア・センスがあったからこそ成せる技なのだ。

 その後、高田渡は中川イサト、シバらと伝説のジャグ・バンド〈武蔵野タンポポ団〉を結成するが、フォークからロックには移行せず、そのままルーツを辿る形でジャグ・バンドのスタイルを追求するというところが彼らしい。結成当時、アメリカでデビューしたジャグ・テイストの強いバンド=ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの存在も頭の片隅にあったようだが、彼自身がもっとも出したかったのは、ジム・クェスキン&ジャグ・バンドのようなサウンドだったという。

 プロテスト/トピカル・ソングという観点から離れてリリースされた『ごあいさつ』では、かねてから影響を受けていた明治~大正の演歌師=添田亜蝉坊をはじめ、有馬敲や谷川俊太郎といった詩人の詩に自身が曲を付けるという逆転の手法を編み出す。特に“鮪に鰯”などで借用した沖縄の現代詩人、山之口貘を熱心に取り上げているが、のちに沖縄のミュージシャンらと全編山之口の詩で作られたトリビュート・アルバム、その名も『貘』をリリースしている。

 とにかく、〈フォーク〉というスタイルはその一端だけであって、サウンド面も詞の面においても大きく発展していった彼だが、そこに共通しているのは、あくまで自分のスタンスを崩さない、というところである。詩に関しても、「単に内容の善し悪しではなく、詩が自分と合わさるまで待つ」と本人が以前語っていた。そういった頑なな姿勢こそがあらゆるルーツを血肉とし、高田渡のオリジナルへと昇華させていくのだ。

▼文中に登場したアーティストの作品を紹介


高田渡の99年作『貘』(B/C)

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