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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2006年05月11日 12:00

更新: 2006年05月11日 19:50

文/桑原 シロー

これまでの成功は序章にすぎなかった!? 世界最強バンドがいよいよその牙を剥く!


 60年代の終わり、所属レーベルのデッカとストーンズとの関係は非常に悪化していた。『Beggars Banquet』のジャケット(トイレの落書きのやつだ)に上層部からクレームがついて、差し替えを要求されたことは、メンバーに〈ふざけんなよ!〉という思いを抱かせた。案の定、契約更新は行われず、彼らは自身のレーベル=ローリング・ストーンズ・レコーズを立ち上げることとなった。不敵な〈ベロ出し〉時代の幕開けである。

 71年4月、アンディ・ウォーホルのデザインによるジッパー付きのジャケットが煽情的な『Sticky Fingers』が、レーベル第1弾アルバムとして登場する。マッスル・ショールズ・スタジオでレコーディングされた“Brown Suger”からスタートし、ポール・バックマスターがストリングスのアレンジを担当した“Moonlight Mile”まで、どれも一級のロック・ナンバーとして充実の仕上がりで、激動の60年代を何とか乗り切ったという自信と、これからより速度を上げて走るのだという気迫が作品全体から伝わってくる。ビートルズはもういないのだ。ここから名作の連射が始まった。

 72年には南フランスにあるキース邸の地下での録音曲がメインとなったLP2枚組『Exile On Main St.』をリリース。US南部志向をいっそう明確にしたこのアルバムは、リラックスしたムードを強めながらも、荒々しさを前面に出したサウンドがたまらなく魅力的だ。雑多なスタイルの楽曲が揃っていることも相まって、雑然とした世界が浮かび上がっている。リリース当時は〈統一感に欠けている〉という批判もあったようだが、そんな声を跳ね返してしまう重量感が作品には備わっていた。この年のツアーでは、『Exile On Main St.』のジャケット・デザインを手掛けた写真家で映画監督のロバート・フランクがカメラを回し、「Cocksucker Blues」なるドキュメンタリー・フィルムを完成させたが、グルーピーの女の子のシーンがスキャンダラスだという判断で、お蔵入りとなっている。

 この頃、日本のストーンズ・ファンにとっては忘れられない出来事があった。待望のストーンズ来日公演のニュースが駆け巡り、年末にはチケットもリリースされたのだが、翌73年になり中止が発表されてしまう。法務省が彼らの入国を認めなかったのである。いわゆる麻薬問題が原因であった。この一件はわが国のストーンズ・ファンにとって大きなトラウマとなる(映画「太陽を盗んだ男」で監督の長谷川和彦は、この中止事件を物語に組み込んでいた)。

 73年にジャマイカはキングストンで録音された『Goat's Head Soup』、翌74年にはミュンヘン録音の『It's Only Rock'n' Roll』(初のジャガー&リチャーズ=グリマー・ツインズ・プロデュース)とコンスタントにアルバムをリリースしていく。ニュー・ソウルやレゲエなどを採り込んだサウンド・デザインは、より広い視野を持とうとする彼らの姿勢を反映していた。

 ここで非常事態が発生する。ブライアンの後釜としてストーンズを支えてきたミック・テイラーが、自分の音楽を追求したいという理由で74年12月に脱退してしまうのである。後任が決まらないままだったが、75年6月からサポート・ギタリストにロン・ウッドを迎えてツアーに臨む。翌76年のアルバム『Black And Blue』には新メンバーとして、ロンの姿があった。彼を交えた新ストーンズの勇姿は、2枚組のライヴ・アルバム『Love You Live』に記録された。

 78年、パリ録音の『Some Girls』をリリース。冒頭の“Miss You”はディスコ・ビートを採り入れた曲として話題になった。しかし、ミックは〈ジョン・トラボルタ(「サタデー・ナイト・フィーバー」の主演俳優)が出てくる前からこの曲を作っていたよ〉と弁明している。とはいえ、時代の空気を巧みに採り込むストーンズの生き様を証明している曲には違いなかった。これは、若返りながら前進するストーンズのドキュメントとしても優れた作品なのである。

 77年、キースは麻薬所持で逮捕され、裁判が長く続いている状態にあった。だが、78年10月に下された判決は無罪放免に近いものだった。彼は裁判所からカナダ国立盲学校のためのチャリティー・コンサートを行うことを命じられる。

 なんとか苦境を脱し、回復の道を歩き出したキースとバンドは、80年『Emotional Rescue』、次いで81年『Tattoo You』で、80年代という新時代へ突入してもビクともしない頑丈なサウンドをクリエイトした。そして、彼らはスタジアムを巡る大規模なアメリカ・ツアーを開始。その模様はハル・アシュビーによって撮影され、「ザ・ローリング・ストーンズ」という映画としてここ日本でも上映された。そのスクリーンにはめっぽうタフで、最高のエンターテイメント集団が大きく映し出されていたのである。

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