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特集

Massive Attack

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2006年04月20日 13:00

更新: 2006年04月20日 18:15

ソース: 『bounce』 274号(2006/3/25)

文/栗原 聰

その時、世界は盗まれた。ブリストルから放たれた一筋の閃光は、やがて黒い霧で空という空を覆い尽くしていった──マッシヴ・アタックを知らないということは、重要な章を読み飛ばしてポップ・ミュージックの歴史を語ることに等しい。そんな彼らから新たに届けられたのはベスト・アルバム『Collected』。ダディGと3Dそれぞれの思惑が見え隠れする最新(衝撃の!)インタヴューを交え、過去を振り返りながら彼らの現在地を、そしてその先を探ってみよう


「とてもピュアな曲になったと思う。過去、現在、未来という枠に囚われない曲だね」(3D)。

 その曲とは、現在もっとも新しいマッシヴ・アタックの作品である“Live With Me”。ストリングスが効果的な、いかにも彼ららしいトラックに乗るソウルフルなヴォーカルに、15年前の“Unfinished Sympathy”や“Safe From Harm”を思い出す人もいるかもしれない。テリー・キャリアーとのコラボレーションは、初めてマッシヴ・アタックの歴史がひとまとめになったコレクション『Collected』に収録されている。過去を振り返るにはいい機会だ。

 現在のマッシヴ・アタックは、2メートルに迫る長身のダディGことグラント・マーシャル、イタリアの血を引く3Dことロバート・デル・ナジャの2人組。彼らは現在もイングランド西部に位置する街、ブリストルをホームグラウンドとしている。

「ブリストルのシーンは凄いんだよ。才能ある人たちがたくさんいる。僕らが最初にブリストルから出てきたというだけで、後にも数多くのアーティストが出てきたよ。これからも素晴らしいアーティストが出てくるだろうな。ブリストルは経済的にも文化的にも急速に前進している。ワイルド・バンチがブリストルを活気づけたんだよ」(ダディG)。

 ブリストルを活気づけ、マッシヴ・アタックの母体となったのがワイルド・バンチ。〈リヴォルヴァー〉というレコード店に勤め、すでにDJという肩書きのあったダディGが、DJマイロ、ネリー・フーパーと活動を共にするようになったのは83年頃のこと。後に、15歳のマッシュルーム、グラフィティの才能を開花させていた3D、ウィリー・ウィーが加わった。単なる音楽グループではなく、パーティーやアートの活動やファッションの造詣も深いファミリーのようなスタンス。黒人地区と白人地区の中間に位置し、人種が混在していたというクラブ〈ダグ・アウト〉をはじめ、街中のあらゆる場所でサウンドシステムが鳴り響いた。レゲエ、パンク、ニューウェイヴ、ディスコ、初々しいヒップホップのアイデアがプラスされ、アウトローたちは形式にハマらないユニークな音を響かせていた。

「ワイルド・バンチに熱心なファンがいたのは、イギリスでヒップホップを最初に受け入れていたからじゃないかな。パンク・レコードからヒップホップやレゲエまでの音楽をミックスしてNYのスクラッチ手法を使っていたせいか、エキセントリックだったかもしれないね」(ダディG)。

「ヒップホップを採り入れることによって、即座に音楽を生み出すことができるようになった。それってけっこうパンクなことで、僕たちの曲作りもそうして始まったんだ」(3D)。

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