こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2006年04月13日 12:00

更新: 2006年04月13日 20:08

ソース: 『bounce』 274号(2006/3/25)

文/久保田 泰平

騒々しいロンドンの片隅から、ロック史を塗り替える世紀の不良バンドが誕生!


null

 時は1960年。舞台はロンドンのとある駅。小学校の同級生だったミック・ジャガーとキース・リチャーズは、共通の友人だったディック・テイラー(のちにプリティー・シングスで活躍)を介して(偶然という説もあるが)、10年ぶりに再会する。ミックが持っていたマディ・ウォーターズのレコードに目をギラつかせて反応したキースは、ミックとディックがやっていたバンド、リトルボーイ・ブルー&ザ・ブルーボーイズに参加することになる。やがて彼らは、ロンドン・ブルース・シーンの創始者と言われるアレクシス・コーナーがプレイするマーキー・クラブに出入りするようになり、コーナーとのセッションにもたびたび加わるようになっていく。その頃、ミックたちはとあるクラブでエルモア・ジェイムズばりのスライド・ギターをクールにプレイしていたブライアン・ジョーンズと出会う。彼のプレイに惹かれたミックたちはさっそくブライアンのバンドと合流、ここでストーンズの母体が形成されたのであった。

 62年の終わり頃、バンドはミック、キース、ブライアンのほかに、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマン、のちにロード・マネージャーにされてしまうイアン・スチュアートというラインナップに落ち着いた。ブライアンのアイデアで付けられたバンド名は〈ローリング・ストーンズ〉。敬愛するマディ・ウォーターズの曲名から拝借した名前だ。クラブやパブでプレイを重ねていった彼らは、技術こそ荒っぽかったが、ある種のカリスマ感を武器にその評判を瞬く間に上げていった。彼らのギグはそのステージをひと目観ようとする大勢のファンでゴッタ返していたが、そんな聴衆のなかにかつてビートルズのパブリシストを務めていたアンドリュー・ルーグ・オールダムがいた。ストーンズのプレイに惚れ込んだアンドリューは、彼らのマネージャーを買って出て、すぐにデッカとの契約を取り交わす。デッカはビートルズが持ち込んだデモを袖にしたがために、大儲けし損なっていたばかりのレーベルだった。

 ようやく漕ぎ着けたレコード・デビュー。63年6月にリリースされたデビュー・シングル“Come On”はチャック・ベリーのカヴァーだった。続く同年11月の“I Wanna Be Your Man”はジョン・レノン&ポール・マッカートニーの曲。実はこの曲、アンドリューが昔のよしみでジョンとポールに「新人バンドに歌わせる曲、何かない?」と尋ね、未完成だったこの曲を提供してもらった、という流れ。初のTOP20入りを果たした同曲は、翌64年4月に日本デビュー盤として紹介される。

 2枚のシングルがまずまずの成功を収めたところで、アンドリューはストーンズを〈不良イメージ〉で売り出そうと思案する。それはもちろん、優等生イメージで売り出していたビートルズに対抗してのアイデアだ。ファンの親たちから反感を抱かれるような長髪とふてぶてしい態度――実際の彼らはどうだったかは知らないが、彼らはそのイメージを見事に演じきった。ラジオ番組の収録にわざと遅れてみたり、TVプロデューサーと諍いごとを起こしてみたり、パーキングの壁に立ち小便をして訴えられたり……。大人たちが忌み嫌う存在になっていくにつれ、ストーンズは少年少女たちにとってますます頼もしいアイドルになっていったのだった。

 64年春、バディ・ホリーのカヴァー“Not Fade Away”をTOP3に送り込んだストーンズは、続いてイギリスのファースト・アルバム『The Rolling Stones』(CD廃盤なのね)を発表。ビートルズ『With The Beatles』を蹴落とし、12週連続のNo.1をキープする。そして、アルバムがNo.1を独走している間、彼らは初めてアメリカへと乗り込む。まずは顔見せといった程度のツアーだったが、憧れのチェス・スタジオでレコーディングを行うなど、意義深い初渡米となった。帰国後、そんなストーンズを渡米前以上の〈熱狂〉が出迎える。帰国後にリリースしたヴァレンティノズのカヴァー“It's All Over Now”は初のNo.1シングルとなり、続くウィリー・ディクソンのカヴァー“Little Red Rooster”も同じくNo.1の座を射止める。この年の10月には2度目の渡米。直前にUSリリースされたシングル“Time Is On My Side”(アーマ・トーマスのカヴァー)が初のTOP10入りを果たしたこともあり、前回とは比べものにならないほどの大歓迎を受ける。アメリカの国民的TV番組「エド・サリヴァン・ショー」や「シンディグ!」にも出演した。


60年代初期のローリング・ストーンズの音源をまとめたベスト盤『Big Hits -High Tide And Green Grass』(London/Abcko)

  65年1月にイギリスで発表したアルバム『The Rolling Stones No.2』(これも廃盤なのね)も、もちろんNo.1を記録。ファースト同様、このアルバムもまた、ブルースやR&Bのカヴァーで占められたものだった。ぼちぼちオリジナル曲はあったにせよ、本国でリリースしてきた5枚のシングルも含め、大半の楽曲はカヴァー。そんな現状に限界を感じたのか、マネージャーのアンドリューはミックとキースに、よりインパクトのあるオリジナル曲の制作を指令する。そうやって生まれたシングル“The Last Time”は、キャッチーなギター・リフを軸に展開される、ストーンズの常套パターンの原型といえる楽曲になった。さあ、走り出したら止まらない! 7月にはUS先行でシングル“(I Can't Get No)Satisfaction”をリリースし、見事に初のUSチャートNo.1を獲得。続く“Get Off Of My Cloud”も英米でNo.1を記録する。9月には本国でアルバム『Out Of Our Heads』を発表、充実の65年を終えようとしていた彼らの目の前には、新たなフェイズへの入り口が待っていた。その入り口の扉には、〈黄金時代〉と書かれていた。

記事ナビ

インタビュー