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特集

スライの音楽性/メッセージ性に寄与したサンフランシスコのシーンとは

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2006年03月23日 12:00

更新: 2006年03月23日 23:15

ソース: 『bounce』 273号(2006/2/25)

文/佐藤 英輔

ROLL OVER THE LOVE CITY

 もし、スライ・ストーンがサンフランシスコをベースとしていなかったら──それは、非常に興味深い問いだと思う。だって、シスコは当時の白人カウンター・カルチャー~ドラッグ経由のリベラル主義=〈フラワー・ムーヴメント〉の中心地だったから。スライはミュージシャンとして大成する前に音楽プロデューサーやラジオDJとして、同地で活動している。スライがプロデューサーとしてクレジットされた65年作『Introducing The Beau Brummels』を残しているボー・ブラメルズは、才気のあった、知る人はちゃんと知っている白人グループ。つまりは、当初から彼は白人の領域に入ることができていた。

確かにスライは天才であったが、それは自由や開放を求める幻想傾向の強かったシスコに彼がいたからこそ可能だったのではないか。そして、それゆえ彼は(いまでも、レッテル分けの好きな米国音楽業界からは嫌われる)斬新な混合ロッキン・ファンク・サウンドでメジャーの契約を取れたし、スマッシュ・ヒットも連発できた。いや、全米に広がったフラワー・ムーヴメントとクロスすることで、スライは音楽家として比較的遠回りせずに天下を獲れたという側面もあったはずだ。白黒/男女混合というバンド構成やジミ・ヘンドリックスと重なるようなカラフルかつサイケな出で立ちもまさしく古い世代の流儀を否定したシスコ発の新気運を象徴するもの。だからこそ、彼のパフォーマンスは69年の〈ウッドストック〉でも映えまくった。そして、そうした流れに乗った彼のメッセージも陽性で、弾んでもいたのだ。少なくとも、〈暴動〉以前までは。


ボー・ブラメルズの65年作『Introducing The Beau Brummels』(Autumn)

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