Patti Smith
ロックの殿堂〈ロックンロール・ホール・オブ・フェイム〉に今年プリテンダーズが殿堂入りしたニュースを聞いて、〈おいおい、順番が違うんじゃないの?〉と思った人もいるのではないだろうか。クリッシー・ハインドのロック史への貢献にケチをつけるつもりは毛頭ないが、後世の女性ロッカーたちに与えた影響力ということでは、パティ・スミスのほうがずっと大きいのではないか。というよりも、クリッシー自身もパティに多大なインスピレーションを受けた人のはずである。
パティは70年代半ばにそれまでにはない女性アーティスト像を提示した。彼女はお仕着せの女性らしさやありきたりのセックス・アピールを必要としなかった。知性と衝動が同居する作品、創造において妥協を拒否する姿勢、若き日のボブ・ディランやキース・リチャーズを模したような中性的なルックスなどで、それまであった〈女性ロッカーはこうあるべき〉という枠を取り払ってしまったのだ。
パンク・ロックを生んだ70年代のNYのアンダーグラウンド・シーンからパティは登場した。象徴主義やビート世代に影響を受けた詩と、3コードの素朴なロックンロールを結びつけた因習に囚われない挑戦的な作品で、NYとロンドン両方のパンク・ムーヴメントに影響を与えることになった。ただし、〈パンク・ロックの桂冠詩人〉などと称されながら、パティ自身は「〈パンク〉のレッテルを貼られるのが嫌だ」と97年の初来日時のインタヴューで語っていた。
「自分をひとつのタイプのアーティストだと考えたくない。私はパンク・ロック・アーティストではない。私はアーティストであり、パンク・ムーヴメントに関わって、その可能性が開くのを手伝ったのよ」。
そのレッテル貼りを拒否しても、もちろん彼女はあの時代におけるパンクの意義を重要視している。
「パンク・ムーヴメントがとても重要だったと思うのは、ロックンロールの可能性をふたたび切り拓いて、荒々しいエネルギーを取り戻させ、若い連中をもう一度ストリートに戻したことね。というのは、ロックンロールは他のあらゆるものと同じように、ビジネスになっていたからよ。私たちはそれと闘っていた。だから重要だったの」。
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