こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2005年12月15日 12:00

更新: 2005年12月22日 18:41

ソース: 『bounce』 271号(2005/11/25)

文/出嶌 孝次

音楽の都、ヒップホップの都は現在……

地元色を前面に押し出したブリンブリンなアクトを輩出してきたニューオーリンズ~バトンルージュだが、未曾有の大災害を受けたいまは……

言葉も失うほどの酷い爪痕を残していったハリケーン〈カトリーナ〉。日本にいながらその惨状についてあれこれ言いすぎるのは不謹慎だとは思うが……TVで朝のワイドショーなどから流れてくる程度の情報だと、例えば〈バーボン・ストリート〉についての話題しか流れてこなかったりするわけで(しょうがないけど)、ニューオーリンズ=伝統音楽の街として認識されすぎている傾向も感じる。しかしながら、もちろんニューオーリンズは現代の音楽と共に生きる街でもあり、巨大なラップ・シティーでもある。かの地のヒップホップ・シーンは何度も全盛期を迎えながら、順調に発展を続けてきたのだ。

 ニューオーリンズといえばセカンドライン・ファンクが思い浮かぶが、その独特のリズムがバウンス・ビートの元になったということはよく知られているはずだ。このリズムは早いうちから現地のヒップホップ・アクトの間では採り入れられていた(その担い手がマニー・フレッシュだった)。とはいえ、ヒップホップ・シーンにおいてニューオーリンズの名がハッキリと重要視されはじめたのは、97年頃のことだろうか。カリフォルニアに移住してレコード店を開いていたマスターP(デビューは91年)が、成功したラッパーとして地元に帰ってくるのと時を同じくして、同地で活動していたヒップホップ・アクトは一斉に上昇気流に乗りはじめている。まず、マスターPが主宰するノー・リミットとほぼ同時期、90年代初頭に設立されたレーベルのキャッシュ・マネーは、90年代半ばにエース級のティーン・ラッパー――BG、ジュヴィナイル、リル・ウェイン、ターク――をホット・ボーイズとして売り出し、独特のバウンス・ビートに乗った南部訛りのフロウで一気に世界を席巻していくことになる。一方のノー・リミットも、一時はミスティカルやスヌープ・ドッグまで軍団に引き入れる活躍ぶりを見せ、最盛期は月に2~3枚のアルバムをリリース(年に30枚近く!)して、そのどれもがポップ・チャートに飛び込むという華々しい成功を収めた。

 その後は両レーベル共に緩やかな離合集散を経験して、コアな勢いは衰えていったが、そこから独立したアーティストたちがそれぞれの活動を繰り広げるなど、シーンの裾野は着実に広がっていった。そうやって常にニューオーリンズは新しく奇抜なアイデアを携えたアーティストを送り出してきていたのだ。そして、バラバラになっていたホット・ボーイズ再編の噂も聞こえてくるなか、今回の大災害が起こってしまったのだ。

 不謹慎な言い方をすると、今回の被害の模様を知って、多くのアーティストがずっと地元に暮らしていることを改めて実感させられたりした。それぞれが親族や財産を失ったという。それでもその災害の跡から新しいものが生まれてくるはずなのだ。ヒップホップはエリアと共に生きていく音楽である。復興を心から願いたい。

インタビュー