こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

特集

Luther Vandross(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2005年11月24日 11:00

更新: 2005年11月24日 19:25

ソース: 『bounce』 270号(2005/10/25)

文/荘 治虫

地道な下積み時代

 ルーサー・ヴァンドロスは51年4月20日、NYに生まれた。母親はゴスペルを歌い、父親はビッグバンドのシンガーという音楽に溢れた家庭で育ったが、前述のとおりなぜかゴスペル経験は浅かったと言われている。やはりシンガーだった姉のパトリシアは、ルーサーの幼少期に白人男性のジョニー・マエストロをリードに擁するクレスツという人種混成ドゥワップ・グループのメンバーとして活動。グループが“16 Candles”でブレイクする59年以前に脱退してしまっていたものの、母親は音楽業界入りしていた姉の後を追うようにルーサーを励ました。この頃、ルーサーは父親を亡くしている。後年の名曲“Dance With My Father”は、言わずもがな、その父への想いを歌に託したものだ。

 高校に進むと彼は近所の友人たちと歌いはじめ、やがて16人のメンバーからなるリッスン・マイ・ブラザーというグループに加入。また、やはり学生時代にギタリストのカルロス・アロマーらとシェイズ・オブ・ジェイドなるグループを組んでもいた。そうしたアマチュア・ベースの活動が実を結びはじめたのだろう、74年にはブロードウェイ・ミュージカル「The Wiz」のために曲を提供することになる。もうひとつのプロ・キャリアへのステップは、シェイズ・オブ・ジェイドのバンド仲間だったカルロスからの誘いによってもたらされた。デヴィッド・ボウイのギタリストとしてすでに活動していたカルロスが、旧友をフィラデルフィアのスタジオに呼び寄せ、ボウイに会わせたのだった。ボウイはルーサーの能力をすぐさま見抜き、アルバム『Young Americans』(75年)に参加させたほか、バックグラウンド・シンガーとしてツアーにも連れ歩いた。

 ここからはとんとん拍子で事が運ぶ。ボウイのツアーを通じて知り合ったベット・ミドラーにバック・ヴォーカルを頼まれ、そのレコーディングを通じてプロデューサーのアリフ・マーディンに出会うことになるのだ。ルーサーの歌声に惚れ込んだアリフは、数々のセッションに彼を招いた。セッション・シンガー、ルーサーの誕生である。一方ではケンタッキーフライドチキンをはじめとするTVのCMソングの仕事もこなしながら、ルーサーは冒頭で話した自身のグループを結成。このグループがコティリオンからアルバム・デビューを果たすことができたのも、アリフの紹介があったからだった。

 もっとも、『Luther』『This Close To You』の2枚のアルバムをリリースしたものの、グループは大きなインパクトを残せずに、ルーサーはふたたびセッション・シンガーの道に戻らざるを得なかった。シック、クインシー・ジョーンズ、グレッグ・ダイアモンド・バイオニック・ブギーなど、リード/バックグラウンドを含めて彼は数多くの仕事を精力的にこなしたが、なかでもチェンジ“The Glow Of Love”(ジャネット・ジャクソン“All For You”にネタ使いされた)での名唱は、名義こそ本人ではないもののルーサーの代表曲のひとつとして数えられるほどの出来映えで、後にベスト盤『The Best Of Luther Vandross : The Best Of Love』(89年)にも収録されている。
▼ルーサー・ヴァンドロスのベスト盤を紹介。

インタビュー