George Clinton(2)
万人を惹き付けるリーダーシップ
ジョージ・クリントンは、41年7月22日にノースキャロライナ州のカンナポリスにて、9人姉弟の長男として生まれた。サム・クック(31年生まれ)やジェイムズ・ブラウン(33年生まれ)よりもひと世代若く、スライ・ストーン(44年生まれ)よりは少し歳上にあたる。その後、ワシントンDCやヴァージニア州を経て、ニュージャージー州のニューアークで暮らしはじめるのは9歳頃のことだった。家計は苦しく、彼は中学に通いながら工場でも働いた。だが、早くもリーダーシップを発揮して、そんな年齢にも関わらず、作業長を任されていたという。また、学校をサボってはNYのアポロ劇場にも通っていた。フランキー・ライモンやデルズに憧れ、もちろん女性にモテたいというスケベ心もあり、クリントンは当時の先端音楽=ドゥワップに夢中になっていたのだ。
そんな彼が高校を卒業後、床屋になったのは必然だったのかもしれない。ある意味、服装や靴といったアイテム以上に髪型は黒人たちのお洒落の基本だ。そこには個々人のこだわりが強く表れる。アイス・キューブ主演の映画「バーバーショップ」のなかで、キング牧師さえジョークのネタにするエディ(演じるはセドリック・ジ・エンタテイナー)が〈床屋はコミュニティーの要であり、昔からずっとファッションリーダーだったのだ〉と床屋哲学を披露する場面を覚えている人がいるかもしれない。ミルス・ブラザーズは床屋の息子たちが結成したグループで、〈バーバーショップ・スタイル〉と呼ばれるハーモニーが生まれるなど、床屋と黒人音楽の繋がりは古くから深い。
〈なぜ、床屋になったのか?〉──93年の来日時、ぼくはそんな質問をクリントンに直接ぶつけてみたことがある。目の前にいるクリントンは、まるで石塚英彦のようなオーヴァーオール姿。カラフルなドレッド調のウィグも付け、首からはミニチュアの哺乳瓶やおしゃぶりをぶら下げていた。これで50歳すぎ……。さらに時折そのおしゃぶりを赤ん坊のようにチューチューとくわえてみせる。う~む……さすがに……手強い。彼が言うには、床屋はどこからでも電源が取れる、物が少なくてエコーの掛かり具合がちょうどいい、要するに練習に持ってこいの場所ということだった。パティ・ラベルの髪も彼がいじっていたそうだ。圧倒されてもうひとつツッコミ不足に終わったけれど、ニュージャージーに〈暴動〉が起こった時、彼の床屋だけは焼き討ちに遭わず、無事だったという伝説も残っている。それは床屋がコミュニティーの要であるということの証とも言えるだろう。
Pファンクの重鎮であるビリー・ベースの母親は当時、〈ダーティー・ジョーク〉が好きな大人だらけだから床屋には近づくな、と言い聞かせていたという。それでもビリーは床屋に入り浸る。それほどクリントンは歳下の連中から慕われ、同時に恐れられてもいた。彼の手に掛かると、なんともキテレツな髪型にされてしまうからだ。そんな賑やかな床屋を舞台にヴォーカルやハーモニーの練習を重ねたクリントンはパーラメンツというグループを結成。58年には最初のシングル“Poor Willie”をリリースしている。が、これは不発に終わり、その後も数年間は鳴かず飛ばずの日々を送った。
しかし、そんな状況にめげず、床屋の仕事が終わると彼はクタクタになりながらもNYへ出かけ、新しい音楽の動きを見つめていたという。仲間内でもそこまでのヴァイタリティーを示したのはクリントンだけだった。当時グループ内で彼が担当していたのはベースとファルセット。「ジョージは素晴らしいファルセット・シンガーだった」とバーニー・ウォーレルも回想している。が、自身のシンガーとしての限界もクリントンは自覚していて、トータル・プロデューサー的なリーダーシップをすでに発揮していたのだった。
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