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特集

ロック・フィールドに着火したウェイラーズとレゲエ ROOTS, ROCK, REGGAE & ROCK

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2005年08月18日 14:00

更新: 2005年08月18日 16:01

ソース: 『bounce』 267号(2005/7/25)

文/出嶌 孝次

 ウェイラーズの『Catch A Fire』によってレゲエが世界に〈紹介〉された結果、まだ野心的だった時代のロック・ミュージシャンたちはその刺激的で新しいリズムに魅了され、その動きに積極的な呼応を示していくこととなった。筆頭は、ボブの“I Shot The Sheriff”をすぐさまカヴァーし、後に“Lay Down Sally”もヒットさせたエリック・クラプトンだろう。また、第三世界的なリズムへの希求を進めた結果としてレゲエに出会ったポール・サイモン、さらに力任せな好曲“D'yer Mak'er”を残したレッド・ツェッペリン、ピーター・トッシュを自身のレーベルに迎え入れるほどの傾倒ぶりを見せたローリング・ストーンズらのレゲエ・アプローチも散発的だったとはいえ、おもしろい成果を生んでいる。一方、70年代半ばの西海岸ではリゾート・ミュージック的なフィルターを通してレゲエが親しまれていき、その曲解がイーグルス最大のヒット曲“Hotel California”に結実したことは特記しておきたい。

 そういった動きがふたたび盛んになっていったのは、70年代後半のUKパンク勢の間でだった。別掲のクラッシュはもちろん、“Roxxanne”や“So Lonely”など初期シングル・ヒットのほとんどが〈白いレガッタ〉なポリス(ソロ移行後のスティングについては言うまでもない)、名曲“Watching The Detective”を残しているエルヴィス・コステロ、PIL期にその趣味を爆発させるジョン・ライドン、その継娘にあたるアリ・アップが在籍したスリッツなどなど、80年代初頭にかけてレゲエは多くのシンパシーを集めていくこととなった。このようにパンク勢が積極的にレゲエを吸収したのは、反体制的な肌合いに引かれてのものだったのかも知れないが、そもそもモッドがブルービートを愛してきた土壌を前提として持つ土地だったからこそ、単なるリズム流用に終わらないレゲエの血肉化が行われ得たのだと思う。

 そして、やや文脈を異にするが、USのソウル~R&B勢にもレゲエの余波は及び、73年の時点で“Boogie On A Reggae Woman”を送り出しているスティーヴィー・ワンダーは、モロに副題そのまんまの風情を湛えた“Master Blaster(Jammin')”を80年に大ヒットさせた(後にマーリー・ボーイズがカヴァー)。また、ボブに前座を託したこともあるマーヴィン・ゲイが、恐らくボブに捧げたと思われるTR-808製のプリミティヴなレゲエ“Third World Girl”を遺作に忍ばせているのも、なかなか興味深い事象だ。

▼文中に登場したアーティストの作品を紹介

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