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特集

Bob Marley(3)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2005年08月18日 14:00

更新: 2005年08月18日 16:01

ソース: 『bounce』 267号(2005/7/25)

文/藤田 正

神性を帯びていく存在感、そして……

『Natty Dread』、そして『Live!』の大ヒットによって、ウェイラーズ……いや、ボブ・マーリーは、ジャマイカのレゲエを世界レヴェルにまで到達させる象徴的な存在となったのである。カリブ海諸国はもちろん、アフリカ、中南米ほか、圧制と貧困に苦しむ人たちにも彼の声は届けられ、それはいわゆるヒット・ソングではなく、ある意味〈神性〉を帯びたものとして受け止められた。

“No Woman, No Cry”“I Shot The Sheriff”“Slave Driver”“Get Up, Stand Up”“Africa Unite”“Survival”……各時代を代表するマーリー・ソングスには、〈底辺の人々の視線と体験〉という共通のテーマがある。一般にラヴソングの佳曲として知られる“Is This Love”なども、そこに描かれているのは現代社会の苦悩する人々の姿である。

 そして79年4月、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは日本にやってきた。言葉を失うほどのド迫力のコンサート、だった。そしてぼくは(それだけでは気が収まらず)、マリファナ問題ゆえに取材厳禁だった宿泊先へカメラマンとインタヴュアーを連れて潜り込んだのだが、その時に見たボブ・マーリーとは、背格好は小さくとも、周囲が格別の存在として高く仰ぎ見るような人物だったのである。彼は東京でも毎日、(女性を除く)バンドマンを集めて宗教的な講話をしていたという。

 ある意味で、ボブ・マーリーは宗教者であった。と同時に、音楽を通じて、社会的に相当の影響力を持つ革命的な指導者(として見られる存在)でもあった。それゆえに、かの75年のジャマイカ総選挙の直前には武装集団に襲われ、暗殺されそうになっている。この有名な事件は彼にとって一大転機となったが、ボブ・マーリーという存在は自分が望むと望まないとに関わらず、社会と密接に関わることを運命づけられていたミュージシャンだったとも言えるだろう。78年にアフリカ諸国の国連代表団から〈第三世界平和勲章〉を贈られ、80年には南部アフリカのジンバブエ独立記念式典に招待される……というのも、彼が一般のヒットメイカーではなかったことを如実に物語っている。

 そして同80年5月、実質的なラスト・アルバムとなる『Uprising』(〈アフリカ3部作〉の2作目)をリリースしたあと、ボブの身体に腫瘍が発見される。腫瘍は脳だけではなく、内臓各所にも転移しているという、すでに危機的な状態だった。

 81年5月11日、ボブ・マーリーは母が住まうマイアミで死去。享年36歳という若さだった。

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