成熟期を迎えたチカーノ・ラップ CHICANO RAP NOW
ダレスタ「なんだよ、今日は出張かよ」
DG「いや、今回は過熱するラティーノたちの音楽を紹介する特集をやるってことでさ、こりゃオレらの出番だろ!ってことで駆けつけたんだが……」
ダレ「誰もいないじゃねえか」
DG「まあ、そんなもんだっての。じゃあ、誰もいないうちに……ラティーノたちのなかでもプエルトリカンと並んで独自のスタンスを確立しているチカーノ・ラップを紹介してしまおうぜ」
ダレ「一応言っておくとチカーノ=メキシカン・アメリカンだぜ。まあ、もともとヒップホップ・カルチャーが成り立つ現場にプエルトリカンも立ち会っていたわけだし、本当はチカーノがラップすること自体は特殊なモンでもねえんだけどな。いまだにヒップホップを黒人のみのカルチャーとして捉えてるアホもいるけどな」
DG「おっ、今日はちょっとだけ文化的だな。でも確かにそうだっての。とはいえ、そこにローライダー・カルチャーなんかが結びついたことでチカーノ・ラップが独特なモノになっていったことは事実だっての」
ダレ「となると〈ゴッドファーザー・オブ・ラティーノ・ラップ〉ことフロストの話からしなきゃいけないよな」
DG「ヤツ個人についてはP129で紹介したから、そっちをGっくり読んでくれよ」
ダレ「90年代の初めにはライター・シェイド・オブ・ブラウンが出てきて、キューバ系だけどメロウ・マン・エースも外せないね。その後にはN2ディープも続いて……」
DG「たぶんその頃は絶対数が少なかったのか、〈ラティーノ・ラップ〉とか括られてたよな。ウォーを復活させたのはヤツらの功績だっての」
ダレ「本人たち的にはそうやって括られるのが嫌だったらしいけどな。だから、より普通にウェッサイ系のヒップホップに溶け込んで、英語でラップする連中が主流になっていったわけだ」
DG「そんななかで、いわゆる〈ギャングスタ・ラップ〉とか〈Gファンク〉が確立されていくんだが、ルースレスを主宰していたイージー・Eあたりは〈次のトレンドはラティーノだ〉ってことがわかってたみたいだな」
ダレ「そうだな。ルースレスは90年代半ばにフロストと契約してるし、〈ヒスパニック版NWA〉ことブラウンサイドもデビューさせてるよな。まあ、イージーが亡くなってその目論見は頓挫してしまうんだが、その後の97年ぐらいからチカーノ・ラップのシーンが大きくなってくるんだから、イージーは慧眼だったってことだぜ」
DG「スロウ・ペインもそうだし、いまチカーノ・ラップ・シーンのド真ん中にいる連中が2000年ぐらいまでにかけてどんどん出揃ってくるわけだ。あと、ヒューストンのSPM(サウス・パーク・メキシカン)もその頃にドープ・ハウスを立ち上げてやがるし、いまに至るH・タウン・チカーノ勢の下地もその頃に生まれたんだっての」
ダレ「そこでベイビー・バッシュが西からドープ・ハウス入りして、チカーノは連帯するわけさ。それにしてもチカーノは、というかラティーノ勢はわりと簡単にエリアを超えて共演したりするよな。アリゾナのNBライダーズとかジェミナイも、LAとH・タウンの両方と結びつきがあるし。そういう同胞意識みたいなものの強さがラティーノらしいところなのかね?」
DG「まあ、そういう言い方は短絡的だけどな。そうやって現在に至るわけだが、最近はまた傾向が変わって、ヒスパニック作品の人気が高まってきてるね」
ダレ「確かにな。ハイ・パワー軍団を筆頭に、数年前まではブラック勢以上に〈Gファンクをストレートに継承している連中〉として日本でも人気を集めていたはずなんだけどな。トップ・レーベルのハイ・パワーが昨年からヒスパニック盤のリリースを始めたことが象徴的だよ」
DG「言葉もそうだけど、サウンドのほうも伝統を踏まえつつ、ブラック勢に追随しないオリGナルな連中が増えてきてるっての。これもラティーノ大爆発の結果なのかね」
ダレ「スパイダーとかアクウィッドとか……ますます目が離せなそうだぜ」
▼関連盤を紹介
ジェミナイの2003年作『The Product Of Pain』(Catalyst)
ディアブロの2003年作『El Profeta Y Jus Dysipuloz』(East Side)