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特集

Jeff Beck

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2005年07月21日 13:00

更新: 2005年08月04日 18:24

ソース: 『bounce』 266号(2005/6/25)

文/細川 真平


世界中のギタリストやロック・ファンを虜にしてやまないジェフ・ベックというギタリストの魅力は何だろう? テクニック、センス、スリリングさ……数え上げればキリがないが、私としては彼のいちばんの魅力とは、ギタリストとして〈常に進化し続けていること〉だと思う。進化するためには挑戦が必要だし、そこには失敗の恐れもある。自分が一度成し遂げたことを拡大再生産し続ければ生き延びていけるだろうに、彼はそんなことはしない。失敗の危険を冒して新たな挑戦をし、そのたびに進化していくというサイクルを、彼はデビュー以来何度となく繰り返してきた。それがジェフをジェフたらしめているのだ。そんなことを念頭に置いて彼の足跡を辿ってみたいと思う。

ロックンロールの洗礼を受けて

 ジェフ・ベックは、1944年6月24日、イギリスはサリー州ウォリントンで生まれた。50年代半ば、イギリスの退屈な街にもロックンロールの波が到達する。同時代のイギリスのギタリストたちと同じく、ジェフもそれに大きな衝撃を受けた。それともうひとつ。ここがエリック・クラプトンやジミー・ペイジなどと違うところなのだが、彼はラジオで聴いたレス・ポールの51年のヒット曲“How High The Moon”に打ちのめされ、エレクトリック・ギターのトリッキーな可能性に目覚めた。そんなところからは、今に繋がる彼の感性や方法論の基礎が強く感じられる。こうして彼は、ジーン・ヴィンセントのバック・バンド、ブルー・キャップスのギタリストであるクリフ・ギャラップと、レス・ポールをヒーローとして音楽の世界へのめり込んでいった。

 59年に地元のバンド、デルトーンズに加入。シャドウズなどの曲をプレイしていた。その後ナイト・シフトというバンドを経て、63年頃にセミプロ・バンド、トライデンツに参加。この頃にはイギリス中のギタリストがブルースに熱狂しており、ジェフもその一人ではあったが、加えてレス・ポールを彷彿とさせる実験的なアプローチも忘れていない。


ヤードバーズ脱退後のソロ・シングルなどを収録したジェフ・ベックの初期ベスト盤『The Best Of Jeff Beck』(EMI)

 そしていよいよ彼が大きく羽ばたくときが来た。65年に、脱退したエリック・クラプトンの後任としてヤードバーズに加入。翌年12月までの在籍中には、TV出演やアメリカ・ツアー、映画「欲望」への出演などを経験、またヤードバーズ初のオリジナル・フル・アルバムとなった『The Yardbirds』(通称〈Roger The Engineer〉)を残している。

 67年、ソロ・シングルを何枚か出したのち、ロッド・スチュワート(ヴォーカル)、ロン・ウッド(ベース)らとジェフ・ベック・グループ(以下JBG)を結成、翌年『Truth』をリリースする(この作品はジェフ・ベック個人名義)。ザ・フーのキース・ムーンや、(後にレッド・ツェッペリンに参加する)ジョン・ポール・ジョーンズなども参加したこのアルバムでジェフは、ヘヴィーなブルース・ロックを展開している。ヴォーカルとギターが四つに組んだそのスタイルは、ツェッペリン経由でのちのハード・ロック・バンドへと受け継がれていった。69年には2枚目の『Cosa Nostra Beck-Ola』を発表。よりヘヴィーでよりラウドな素晴らしいロック・アルバムだったが、このアルバムを最後にロッドとロンが脱退し、バンドは同年8月に解散してしまう。

 次に、ヴァニラ・ファッジのリズム・セクションだったティム・ボガート(ベース)、カーマイン・アピス(ドラムス)とのバンド結成をめざした彼だが、同年11月、ケント州でT型フォードを運転中に交通事故を起こし、全治3か月の重傷を負ってしまう。彼の入院中に、ボガートとアピスはカクタスを結成。2人とのバンド結成を断念した彼は翌年、コージー・パウエル(ドラムス)、マックス・ミドルトン(キーボード)らと第2期JBGを結成、71年に『Rough And Ready』を発表した。これはモータウンのファンキーなサウンドを採り入れた、ブラック・テイストの強い作品となった。72年には『Jeff Beck Group』(通称〈オレンジ・アルバム〉)を発表。憧れだったブッカーT&ザ・MG'sのギタリスト、スティーヴ・クロッパーをプロデューサーに迎えてスタックス・サウンドを導入した傑作だったが、バンドは同年、空中分解する。

 その後ジェフは念願だったティム・ボガート、カーマイン・アピスとベック・ボガート&アピス(以下BBA)を結成。73年に『Beck, Bogert, Appice』を発表した。ハード・ロック的なダイナミズムに加え、第2期JBG以来のファンキーなソウル的要素を継承しているところも見逃せない。彼らは同年5月に来日公演を行い、日本のロック・ファンの度肝を抜いた。その記録が73 年に日本主導でリリースされた『Beck, Bogert & Appice Live』に収められている。しかし74年前半、BBAは自然消滅的に解散した。

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