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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2005年06月09日 14:00

更新: 2005年06月09日 17:40

ソース: 『bounce』 265号(2005/5/25)

文/出嶌 孝次

スティーヴィーはまだ現在進行形なんだから!

 80年代以降のスティーヴィー・ワンダーを指して〈愛の伝道師〉みたいな物言いがなされることがままある。それが好きじゃない。何か浮き世離れした人のような、胡散臭くて本質がない人のような……。確かにスティーヴィーは大らかな愛を歌い上げているし、それはちっとも悪いことじゃない。ただ、彼はいつでも同じように愛についてかなり率直に歌ってきていたし、社会情勢についてのあれこれもパーソナルな出来事も同じ目線で常に歌に託してきた。別に70年代に入ってからニュー・ソウル的なサブジェクトを歌い出したわけじゃないし、80年代になったから社会派モードになったわけでもないのだ。

 とかく〈80年代以降のスティーヴィーはポップになった〉と言われがちだが、スティーヴィーがポップになったのではなく、それがもはや普遍になったのである。神懸り的なパワーが消えたのではなく、スティーヴィー自身がポップ音楽を一段階上のレヴェルに運び、その結果として彼に注がれる期待値が異常に上がってしまっただけのことだ。サウンド・クリエイターとして先鋭ではなくなったのは確かだが、それもスティーヴィーがこれまで成し遂げてきた結果の上に出来上がった状況なのだ。しかも、スティーヴィーは優れたソングライターであり、天性のヴォーカリストでもある。その側面を見逃して70年代にだけこだわるのはどうも納得がいかないんですが。

 ただ、寡作ぶりが期待値の上昇に拍車を掛けた側面もあるだろう。80年代最初のアルバムとなった『Hotter Than July』(80年)を皮切りに、この25年の間にリリースされたのは、いくつかのサントラ作品などを含めても10枚に満たない。90年代に入ってからはそれが顕著で、縁深いスパイク・リー監督作品のサントラ『Jungle Fever』をはじめ、ライヴ・アルバムを足してもこの15年で3作品しか新作をリリースしていないのである。ただ、それでも雲の上の人になってしまったわけではなく、決して〈あの人は何をやってるの?〉状態に陥ったりはしないのがスティーヴィーらしいところだが。

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