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特集

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2005年06月02日 17:00

更新: 2005年06月02日 18:46

ソース: 『bounce』 265号(2005/5/25)

文/高橋 道彦、出嶌 孝次

スティーヴィーの血肉となった音楽のエッセンス!!

ラテン──多彩なリズムと歌心の源泉

70年代前半におけるスティーヴィーのサウンド革新期において、ひとつの重要な要素となったのが多彩なリズムへのアプローチだ。それはモータウンのLA移転に逆らうようにして、彼がNYへと出てきたことも大きく影響している。NYのプエルトリコ系人口は70年に100万人を超え、また、67~68年にはDJクール・ハークがジャマイカからウェスト・ブロンクスへとやってきていたように、NYはカリブへの出入り口としても機能していた。そんな時代の大都市NYの様子を彼は“Living For The City”に描き込んでいるが、と同時に“Don't You Worry 'Bout A Thing”ではサルサに挑み、曲の冒頭にはスペイン語も使っていた。後にステーヴィーは、マーヴィン・ゲイ“Right On”の作者のひとりで『What's Going On』に参加し、ダニー・ハサウェイ『Live』の演奏者でもあるコンガ/ボンゴ奏者=アール・デルーエンを起用するようになっていく。レゲエの“Master Blaster(Jammin')”でもデルーエンのラテン・パーカッションが聴けるのだ。

さらに、ファンも多い隠れ名曲の“Another Star”には、キューバ系のラテン色と共にブラジル音楽っぽさもある。同曲と同じ『Songs In The Key Of Life』収録の“Summer Soft”にはボサノヴァ的な柔らかさを感じるだろう。アース・ウィンド&ファイアが“Brazilian Rhyme”でミナス派のハーモニーに接近したのとは違って、“Another Star”にはサウダージ感覚が強くあるのだ。あの〈♪ラララ~〉というコーラスを聴くと、ぼくはいつもエルザ・ソアーレスを思い出す。(高橋)

ロック──飛躍する創造性

あまりにもつまらない結論を先に書くけれど、スティーヴィーに影響を与えたロックの三巨頭を挙げるとしたら、これはもうボブ・ディラン、ビートルズ、ローリング・ストーンズになる。60年代中盤の多感な時期に夢中になったボブ・ディランからは、主にメッセージ性やリリカルな表現に刺激を受けたようだ。78年にはディランが主催した〈The Night Of The Hurricane〉というイヴェントに参加(ディランが“Hurricane”で歌った、無実を訴えながらも殺人容疑で投獄されたルーベン・カーターを救うための集まり)しているし、93年にはディランの30周年イヴェントにも駆けつけている。

そして、創造性を発露するメソッドを学んだのは、ビートルズからだろう。一介のビート・グループがアーティストとして成長していく過程は頼もしく感じられただろうし、コンセプチュアルなアルバム制作など、従来のフォーマットに固執しないアーティスト主導型の音楽性は、スティーヴィーがセルフ・プロデュース権を勝ち取るなどしてさまざまなスタイルに臆せず挑戦していくための良い手本になったはずだ。

そして、サウンド面ではローリング・ストーンズだ。“(I Can't Get No)Satisfaction”を……というあれこれは本文を参照していただくとして、そのドライヴ感(ロックよりもロールの部分)をスティーヴィーは見事に掴んだのだ。それから数年後、72年にストーンズの前座を務めたスティーヴィーは“Superstition”で観衆をKOし、ステージ上で共演も果たした。そして、ストーンズの翌年のアルバム『Goats Head Soup』には……サタニックな鍵盤と迷信めいたホーンが躍る“Doo Doo Doo Doo Doo(Heartbreaker)”が! これはモロに……ギヴ&テイクってことなんでしょうな。(出嶌)

ソウル、R&B──幼少年期を育んだルーツ音楽

50年代半ば、やんちゃすぎるスティーヴィー少年を黙らせたいとき、家族はこう言って彼を脅かしたという──「大人しくしないと、ラジオをよそにやっちゃうよ」。効果てきめんだった。それくらいスティーヴィーはラジオが大好きだったのだ。特にブルースやR&Bをかける地元WCHB局のラリー・ディクソンの番組〈サンダウン〉に夢中になったという。ジョニー・エイスやボビー・ブルー・ブランド、それにBB・キングらのナンバーだ。レイ・チャールズの曲に出会ったのもラジオを通じてだった。昨年のレイの葬儀においてスティーヴィーは、「レイの目が見えないとは知らなかった、知っていたのはただ彼が〈素晴らしい〉ということだった」とスピーチしている。

そんなスティーヴィーにモータウンが最初に用意したコンセプトも『Tribute To Uncle Ray』というレイ・チャールズのカヴァー集だった。“Hallelujah I Love Her So”をはじめ、まだ12歳の彼が“Don't You Know”“Drown In My Own Tears”なども柔軟にカヴァー。ブルース好きの面影も見て取れる。
だが、他人のヒットのカヴァーはモータウンの常套手段。スティーヴィーの独自性が表われてくるのは、ソングライターとしての力を増した66年から、特に67年の『I Was Made To Love Her』からだろう。同作では、ジェイムズ・ブラウン、リトル・リチャード、オーティス・レディングらの代表曲を自信に満ちたヴォーカルでカヴァー。スティーヴィーのなかで確信が芽生えていた。(高橋)

レゲエ──新しいリズムの開拓

スティーヴィーがレゲエに接近した最初のサンプルは74年の“Boogie On Reggae Woman”(ちなみに邦題は〈レゲ・ウーマン〉。まだ日本ではレゲやレガエと呼ばれていた頃の話だ!)。その前年、73年にはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが『Catch A Fire』や『Burnin'』といった出世作を世に問い、“Get Up, Stand Up”や“I Shot The Sheriff”など世界のポップ・ミュージック界にレゲエの初期イメージをばらまいていた熱い時代だったのだろう。“Boogie On Reggae Woman”は当時レゲエに熱中していたスティーヴィーがジャマイカで作ったというエロティックな歌だが、ギターのカッティングとパーカッシヴなピアノを採用したアレンジからは、最初からレゲエに丸乗りするのではない、独自の咀嚼術が窺える。実際、多くのアーティストが前後してレゲエにトライしたものの、その多くはあのリズムを敷いただけだった。そこでウワモノのタイム感を採り入れるセンスと耳の良さは流石スティーヴィーといったところか。

80年にはふたたびボブ・マーリーに着想を得たという“Master Blaster(Jammin')”をリリース(シングルB面ではダブを初披露)。自己流のレゲエ作法を完全にモノにした……ように思えたのだが、その後はサード・ワールドをプロデュースして“Try Jah Love”をヒットさせた程度。現時点での最新例はユルい直球レゲエ曲“Tomorrow Robins Will Sing”(95年)か。ここではスティーヴィーもトースティング気味のヴォーカルを披露して、一歩踏み込んでいるのが重要。以降もボブ・マーリー“Redemption Song”を重厚にカヴァーしたり、ワイクリフと“Masta Blasta '98”を作ったりはしているのだが……新作ではどうだろう?(出嶌)

アフリカ──スピリチュアルな大陸のヴァイブ

スティーヴィーが制作して客演もしたゲイリー・バード(ラジオDJ)の“The Crown”(83年)には〈ガーナのソンガイやマリ王国/それが君たちのルーツだよ/国土は広大・博識で/洪水だって克服さ〉といった歌詞が出てくる。確かにスティーヴィー制作らしい、ブラック・ヒストリーをテーマにした曲だ。

77年にスティーヴィーはナイジェリアで行われた〈フェスタック77〉に参加。同フェスに参加していたサン・ラーやジルベルト・ジルといっしょに、逆に参加を拒否したフェラ・クティのステージを観に行ったとも言われている。80年代に入るとキング・サニー・アデの“Ase”に客演もした。それでも、スティーヴィーがアフリカ音楽から大きな影響を受けている形跡は見当たらない。現時点では未聴ながら、新作に入ると噂されているトーキング・ドラム入りの“One Thing”が気になるところではある。

スティーヴィーにとって、〈アフリカ〉は音楽であるよりも精神的な拠りどころのひとつのようにみえる。“Master Blaster(Jammin')”は80年のジンバブエ独立を祝った曲だし、85年1月には〈USA For Africa〉の“We Are The World”に参加、直後の同年2月には南アフリカ共和国大使館前でアパルトヘイトに抗議するデモに参加して逮捕され、有言実行の人であることも改めて示した。同年には“It's Wrong(Apartheid)”も発表している。そんな彼と現在もっとも結びつきが強いのはガーナだ。昨年も首都アクラで行われた移動図書館を作る資金集めのチャリティー・ライヴに参加。思想家W.E.B.デュボイスのように、いつかはガーナに暮らすことも考えていると言われている。

ブラック・アフリカではないけれど、2004年にはエジプトの大衆歌謡シャービのスター、ハキームの“Ah Min Halawto”(アルバム『El-Yomen Dol』に収録)にハーモニカで参加するということもあった。今日もどこかで、スティーヴィーは世界の誰かと共演しようと考えているのかもしれない。(高橋)

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