Daddy Yankee(2)
俺は仲間のために曲を書いているんだ
このブームに便乗したいのはなにもアーバン・シーンだけではない。むしろこの波に乗ってワールドワイドに羽ばたきたいのは当のレゲトン・アーティストたちであろう。いまがまさに旬、〈稼ぎ時〉の夏の陣(笑)に向けて続々とレゲトンの新作が目白押しであるが、ここで今回晴れて最新作『Barrio Fino』の日本盤がリリースされる運びとなったダディ・ヤンキーの発言集を紹介しよう。前述の“Oye Mi Canto”でN.O.R.E.と共にプロモ・クリップに登場、現在は“Gasolina”の大ヒットでアゲアゲ爆走中の彼。〈レゲトンの貴公子〉のキャッチどおり、ローティーン時代からコレ一筋の叩き上げである。
――13歳からラップをやっているそうですが音楽を始めたきっかけを教えてください。
「アメリカのヒップホップに魅了されてラップを始めたんだ。あのリズムを聴いたとたん、自分でもやりたいと思ったのさ」
――尊敬するミュージシャンは誰ですか。
「エクトール・ラバオエ、フランキー・ルイス、イスマエル・リベラ、マルティン・サンティアゴ、ラキム、クールG・ラップ、ナズ、ジェイ・Z」
――これまでメレンゲやサルサもやってきていますが、そういうジャンルを辞めてしまったのはなぜですか。将来そちらのジャンルへ戻るつもりはありますか。
「俺はいつも自分流のジャンルのなかでクリエイティヴなものを作っているけど、そっちへ完全に戻ることは考えていない」
――メディアに出るようなアーティストには、一部の若者の素行の手本となることに対してなんらかの責任があると思いますか。
「音楽は感動や感情を表すもので、俺はソングライターとして自分が感じたままに曲を書いている。気分が良ければ元気な曲を書くし、その曲から感じられるものは俺自身を表している。悩んでいるときに書いた曲も同じさ。俺は仲間のために曲を書いているんだ」
――『Barrio Fino』がアメリカでこれほど成功すると思っていましたか。
「正直言って、アメリカの市場では苦労すると思っていた。だから、『Barrio Fino』がチャートに入って、しかも上がり続けるなんて全然予想していなかったよ。ラテン系の人も白人も黒人も、言葉はよくわからなくても俺の音楽を感じてくれたんだな」
――一部の人は、レゲトンというジャンルは長続きしないと考えています。そういう人たちにはどう言いたいですか。
「俺は13年もレゲトンをやっているから、単なる流行りじゃなく、ムーヴメントだということをすでに示していると思うな」
――日本では英語以上にスペイン語を理解する人が少ないのですが、それでもレゲトン・ブームがキテますよ。
「言葉の壁は関係ないよ。90年代に日本のサルサ・バンドでPR(プエルトリコ)で大流行した人たちがいただろ(註:オルケスタ・デ・ラ・ルスのこと)? 彼らは今でもPRでは伝説のグループとして知られてるんだ。それと同じことがレゲトンでも起きようとしているんじゃないかな。サルサが日本のアーティストたちに与えたのと同じインパクトをレゲトンが与えられたらいいね。日本産のレゲトンも聴いてみたいし、究極的にはコラボレートしてみたい。そうしたら歴史が生まれると思うよ」
▼ダディ・ヤンキーの関連盤を紹介
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