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フィッシュマンズを愛する音楽家たちが〈MY BEST NUMBER〉とそれぞれの想いを告白! さらに、縁深い名エンジニアが〈フィッシュマンズ・サウンド〉について語ってくれたよ! WE LOVE FISHMANS!! -Part.1

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2005年04月28日 18:00

ソース: 『bounce』 264号(2005/4/25)

文/bounce編集部

■ こだま和文(DUB STATION)
“Special Night”
ベストな曲は、その日その時変わったりします。今、〈この曲もいい曲だな〉と思ったのです

数日前久方ぶりに、ずっとフィッシュマンズを支えていたスタッフの1人、植田亜希子さんに会った。彼女がその日着ていたスカイブルーのウィンドブレーカーを見て、「そのヤッケ、佐藤君っぽいなあ」と言ったら、「そうなんです! もらったんです」と言う。何年経っても佐藤伸治の匂いとセンスを嗅ぎとることができるのだなと思った。

■ BIKKE(Nathalie Wise/TOKYO No.1 SOUT SET)
“MELODY”
俺達はROCKERSだから

ある雑誌の取材で佐藤君と対談した時のことである。彼は僕に、音楽を何のためにやっているのか、と訊いてきた。その時僕は頭が真っ白になった。そんなこと考えたこともなかったので、返事に戸惑ってしまった。そして考えた末にろくな答えも出せずにその取材を終えたことが、今でも頭から離れない。その答えをどこかで探しながら、音楽をやっているような気がする。そして、今でも音楽を続けられているのは、あの人、つまり彼に出会ったからだと思っている。感謝(驚)これが僕の、そう全部。

■ 蔡 忠浩 (bonobos)
とてものどかな春の日に窓をあけると、幸せ者たちの声が聞こえてくる。というわけで、“幸せ者”を聴いてみた

音楽が、世の中のいろんな季節や風景、瞬間や気分と偶然に混ざり合って、音楽がよく機能するときがある。それはとても気分の良い瞬間。音楽はより音楽として、風景はより風景として、そして人はより人としてそこにある、その感じ。いつも共に合って、お互いのありようをじっと見つめ合う、その感じ……想いや感情のそれぞれがよりそれぞれとして、ただただある、その感じ。フィッシュマンズの音楽は、いつもそんなしんとしたところのすぐそばで鳴っているような気がする。これからもきっと長く聴くと思う。今日は一日家の中で、机に向かってコレを書いている。

■ 木暮晋也(HICKSVILLE)
“いかれたBaby”
数多くの名曲ありですが、なかでもこの曲は極上のスウィート・ナンバー。ライヴでは必ず泣かされました

フィッシュマンズでギター弾いていた頃は、楽しい思い出ばかり!! プライヴェート・スタジオ完成後、用事がない日でも頻繁に寄り道し、メンバーと朝まで遊んでたりして。そんななか、その部室のようだったスタジオでまず完成したのが“ナイトクルージング”。新たな空間から生まれた奇跡の名曲だと今でも思っています。また、ライヴもゴキゲンに楽しくて、いちばん楽しんでるのは僕だったかもしれません(笑)。いやー、ほんと素晴らしいバンドに関われたことに感謝しています。


HICKSVILLEの99年作『Mileage』(ソニー)

■ ZAK(レコーディング・エンジニア)
“Season”が好き。フラットでありながら覚醒を促す。この曲は人間という乗り物に乗って走る魂のよう。魂は外面からくる物理的な揺れを感じない。ただ感情とのコンタクトを静かにとり続けるだけ。それが表れているから

音とはそれそのものが音楽。そして声もその一部にすぎない。けれどもそこに歌詞が乗ると、〈音=音楽〉という純粋さを離れて、その中庸な状態から離れたように感じられてしまう(これは聴く人の個人差による)。

音を聴くのと、歌詞を聴くという行為は本当は別ではないけれど、〈詩〉という個人的想念が入ることによってそれを歌うその人そのものに焦点(興味)が絞られてしまう。それに気が散って、その音楽の本質的なものを見失いがちになるのは避けたい。それをもう一度〈音楽=音〉そのものに戻そうとした結果だった。

音と詩(うた)はお互いに補完し合うべきであって、音は詩(うた)のバックではないし、詩(うた)はそれひとつで独立した存在でもない。両方が溶け合うことによって、初めて完璧な音楽になる。

誰でも〈あ〉と言えばそれで音楽になる。ただ、その音そのものが持っている波動がそれぞれ違うだけ。

佐藤君はそれが後ろから前に一直線にやってきた。

▼ZAKがエンジニアを務めたごく一部の作品を紹介。

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