BRUCE SPRINGSTEEN(2)
ストリートから、メインストリームへ
ブルース・スプリングスティーンは1949年9月23日、ニュージャージー州のフリーホールドに生まれた。カソリック・スクール時代は反抗児で、アウトサイダー的資質を発揮。彼のロックの目が開くのは、9歳のとき。TVの中にエルヴィス・プレスリーという神を発見する。のちのビートルズ席巻の頃に本格的にギターを始め、ほどなくして近所の仲間とローグスなるバンドを結成し、音楽活動をスタート。以後、キャスティールズほかいくつかのバンドを経て、地元ニュージャージーの人気バンドとなるスティール・ミルを結成(この頃、ヴェトナム戦争の徴兵検査で不採用となった)。しかしスティール・ミルは解体へと向かい、ドクター&ザ・ソニック・ブームなる大所帯バンドを組み直した。そこにはのちにEストリート・バンドのメンバーとなるスティーヴ・ヴァン・ザント(ギター)、クラレンス・クレモンズ(サックス)、ゲイリー・タレント(ベース)や、サウスサイド・ジョニーことジョン・ライオン(ハープ)もいた。バンド運営が困難にぶつかっているとき、スプリングスティーンは彼の初代マネージャーとなるマイク・アペルと出会う。マイクはブルースの才能に惚れ込み、CBSの高名なスカウトマン、ジョン・ハモンドに売り込みを図った。結果は大成功。72年6月9日、レコーディング契約を結ぶ。
73年1月、ちょうど米軍がヴェトナムから撤退したその時期に、記念すべきデビュー・アルバム『Greetings From Asbury Park, N.J.』がリリースされた。アズベリー・パーク、彼の出身地フリーホールドから東に18キロに位置する街。彼の真の音楽人生はこの街からスタートした。その街角でスケッチされたさまざまなドラマがこの作品には詰まっている。ざらついた言葉の数々、風景を切り取るシャッタースピードの早さ、独自のフレーミングに彩色方法。全体のサウンドはアーバン・テイストなフォーク・ロックだが(CBSは彼を〈ニュー・ディラン〉として売り出そうとした、その影響が大)、ただならぬアーティスト・パワーがバックを完全に凌駕している。それにしてもこの落ち着きのなさは一体なんなのだろう? 同年秋にはアルバム『The Wild, The Innocent & The E Street Shuffle』が登場。ストーリーテラーとして一層の冴えを見せる初期を代表する名曲が並ぶこの一枚は、ローリング・ストーン誌などで賞賛を浴びる。セカンドを作り終え、「方向性が掴めた。自分が何者であるかが分かってきた」という感覚を得たスプリングスティーンは、次に理想のロック・アルバム制作に着手。そして『Born To Run』(75年9月リリース)が誕生する。
プロデュースに以後重要なパートナーとなるジョン・ランドウが参加。〈僕はロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン〉。あのあまりに有名なコンサート評を書いたロック評論家兼プロデューサーであった彼は、スプリングスティーンのヴィジョン──アイドルであったボブ・ディランやロイ・オービソンやデュアン・エディやフィル・スペクタ-らのエッセンスを採り込んだロック──を具現化させるためにさまざまなサジェスチョンを行なう。そしてそれは見事な形となって結実する。スプリングスティーンの吠え、そして愛機フェンダー・テレキャスターのドライヴィンな鳴り、ほかすべての楽器が炸裂するといった感じのサウンドを奏でている(ここでキーボードのロイ・ビタン、ドラムのマックス・ウェインバーグが合流)。紆余曲折を経て出来上がったこの作品(〈これでいいのか?〉と迷いながら作ったらしい)は、「とにかく、デカいアルバムを作りたかった」というスプリングスティーンの想いを叶えることとなる。瞬く間に世間はスプリングスティーンに注目、彼のもとには待望の〈栄光〉が転がり込んだ。しかしほどなくして、マネージャーとの関係が悪化、長い裁判闘争に入り、スプリングスティーンはブランクを余儀なくされる。
いつも考えるのは、もしこのブランクがなかったなら、勢いを持続して『Born To Run』クラスの作品をもう一枚作れたかどうかってこと。どうだろう、プレッシャーとの格闘で立ち止まったりしていたかもしれない。そう考えさせるほどにこのアルバムは巨大な存在。だからブランクは逆に良かったのかも、なんて考えに落ちついたり。次作は78年6月発表の『Darkness On The Edge Of Town』。これも彼の名作の一つだ。80年になり『The River』を発表。ライトなロックンロールとダークなバラードがごちゃまぜになったこの2枚組大作は見事に全米No.1に輝き、シングル・カットされた“Hungry Heart”も大ヒットとなる。当時シーンではトム・ペティやジョン・クーガ-というスプリングスティーンと傾向の似たロックンロール・プレイヤーが活躍していたが、存在感/影響度の点でもスプリングスティーンの存在は抜きん出ていた。この頃からだろうか、わが国で彼に影響を受けたロック・ミュージシャンが活躍し始めたのは。みんな同時代人として思わず採り込まずにはいられない、切実ななにかをスプリングスティーンの音楽に見い出していたのではないだろうか。そういえば、ビートたけしも“Hungry Heart”をカヴァーしていたっけ。
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