奥田民生
奥田民生のソロ活動が10年の区切りを迎えた。でも、その歩みを振り返るならこんなことが言えないだろうか。彼の活動方針というのは、今どき珍しいくらいスパッと筋が通った、自分自身にウソをつかないもの、ということ。実際、彼は自分が好む音楽スタイルで、脇目もふらず(時には十分な休憩をとりつつも)突っ走ってきた。表面的な飾りは排し、骨格のたくましさで勝負してきた。ちなみにロックにとって骨格にあたるのは、ビ-トとかグル-ヴだ。音楽が車ならエンジンに相当する部分だ。さらに、魅力的なヴォ-カリストであると同時にみずからも卓越したギタリストである彼は、スタ-とかア-ティストとか呼ばれるより、ミュ-ジシャンである自分を大切にしてきたし、だからこの10年間、足元がふらつかずやってこれたのだと思う。常にセ-ルスという結果を求められるメジャ-・ア-ティストにとって、これは至難の業なのだ。
まずは、マイペース宣言
UNICORN解散後の94年、民生は“愛のために”のスマッシュ・ヒットで幸先の良いスタ-トを切る。だが、その前に大切なポイントがあった。すぐには動かず、約1年間人前には姿を現さなかったのだ。風の便りでは、釣りなどしながら気ままに過ごしている、ということだった。でも、これは彼にとって、ソロ活動を始めるにあたっての前提たる〈マイペ-ス宣言〉のようなものであった。以後、マイペ-スは民生の音楽活動の代名詞のひとつになる。
翌95年は実りのある年となった。『29』『30』と2枚のオリジナル・アルバムがリリ-スされたからだ。ジャケットの印象がリラックス・ム-ドの前者は、自由で屈託ないソングライティングと骨太のギタ-・サウンドが印象的だった。NYに出向いてのセッションでは、当時キ-ス・リチャ-ズのソロ・ワ-クを手伝っていたことでも注目を集めていたスティ-ヴ・ジョ-ダンやワディ・ワクテル、さらにバ-ニー・ウォ-レルなどが参加。民生にとってはUNICORN時代から親交があったミキサ-のジョ-・ブレイニ-の計らいもあり、日本人の海外録音にありがちな観光気分のものとは一線を画す、ガツンと手応えのある音像が記録されたのだった。
続く『30』は、より民生が自身の内面とも向き合ったような、シンガ-・ソングライタ-指向も強い作品集に思われる。でも彼は当時おもしろい発言をしている。なぜ矢継ぎ早に2枚のアルバムをリリ-スしたのかというと、それはつまり、「一日も早く、ソロになってからの楽曲だけでライヴを成立させたかったから」らしい。実際、この年からソロ・ツア-がスタ-トしている。
ところでみなさんご存知のように、『29』『30』というのは当時の彼の実年齢である。こういう打ち出し方というのはこれまでなかった。若者に支持される音楽をやる、ということと、自身が30代に突入する、ということはアンビヴァレンスを伴うからだ。しかし民生は堂々と、30代だからこそ、より成熟していく音楽をめざしていった。彼のライヴの常連となっていくドラムの古田たかし、ギタ-の長田進、ベ-スの根岸孝旨、ピアノの斉藤有太たちは、彼より上のジェネレ-ション。ステ-ジで、そんな〈お兄さんたち〉に囲まれた民生からは、大好きな音楽を大好きなスタイルでやり続けたいという、迸らんばかりの意志が感じられた。もちろん演奏は圧巻だった。
この時期、特に歌詞のメッセ-ジ性が取り沙汰された“息子”に関して、彼はこんなことを言っていた。「あの1曲だけで、僕がそういう考え方の人間だと受け取られては困る」と。とても彼らしいと思った。ソロになって即座に開花した彼の自由な作品作りはとても多様だった。言葉の意味よりリズム感を重視したものも多く、頭でっかちに接するのは禁物。彼が歌詞に関して事細かく説明することが少ないのは、それだけを独立した意識で書いたりはしないからなのだと思う。
90年代も後半になると彼の活動に変化が起こった。まず、6曲入りという変則的なアルバム『FAILBOX』を、ふたたびNYに出向いてレコ-ディング。ユルいグル-ヴが心地良い仕上がりで、6曲は6曲で満足だけどちょっと物足りなくてもう一度聴いちゃう、そんな不思議な習慣性がある作品集となった。CDの時代になってアルバム一枚の演奏時間が長くなり、最後まで聴き通せない作品集が増えていたなか、これは民生の痛快なアンチとも思われた。ちなみに、同作が一番好きだ、というファンも少なくない。
そしてもうひとつは、世の中のプロデュ-サ-・ブ-ムに反応するかのように、民生も新人ア-ティストの育成に乗り出したこと。女の子2人組のPUFFYは、ポップなだけじゃなく、彼のサウンド哲学をしっかり受け継いだ世界観を持ち一大ブ-ムを巻き起こす。さらにプロデュ-サ-である民生がユニ-クだったのは、同僚のミュ-ジシャン――スピッツの草野マサムネやウルフルズのト-タス松本――に楽曲を発注した点。さらにさらに、〈井上陽水奥田民生〉という前代未聞の大物ユニットもこの時期に誕生している。PUFFYの“アジアの純真”を共作した縁もあってのことだが、この大物同士のコンビは、互いの個性が共存し合う、半径の大きな世界観で話題となった(ちなみに両者は今も親交がある)。
次に民生が越えようとした壁は、アルバムを作ってツア-に出る、というル-ティン・ワ-クへの疑問だったのではなかろうか。そこで注目したいのが『股旅』。これはオリジナル・アルバムでありつつも、ツア-のステ-ジそのままの、そんな醍醐味を持つことをコンセプトとして作られた。“あくまでドライヴ”に始まって“イ-ジュ-★ライダ- '97”で終わるのだが、途中、牧歌的な日本の風景に出会ったり、オン・ステ-ジの熱気だけじゃなくオフ・ステ-ジの寛ぎをも併せ持つ。そんな変化に富んだ内容。このアルバムからシングル・カットされた“恋のかけら”は、彼の全楽曲のなかでも上位に入る完成度だと思う。メロディーの端々に微妙なニュアンスが加わる彼独特の美観が、とてもバランスよく作られている。ちなみに民生は、腹筋を駆使することでこの微妙なニュアンスを醸し出し、それを実現するのだとか。ザックリしているようで細かいところはとってもデリケ-トなのが彼のメロディーで、この曲などまさにその典型であろう。この時期、TVドラマの主題歌となった“さすらい”もヒットしている。