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特集

PAUL WELLER(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年09月02日 16:00

更新: 2004年09月02日 17:53

ソース: 『bounce』 257号(2004/8/25)

文/bounce編集部

既存の価値観を覆したスタイル・カウンシル期

人気絶頂期にあまりにもあっさりと発表されたジャムの解散宣言。この潔さこそがまさにポール・ウェラーの〈モッドイズム〉そのものなのだろう。一生涯がソウルの探求者であるポール・ウェラー先生には、ロックンロール・バンドの幻想など無用なモノだったに違いない。

 解散後すぐさまスタートさせたスタイル・カウンシル。あえて既存の〈バンド〉というイメージではなく、いわば〈ユニット〉という形。当時としては、なんだか斬新な気がしたのをよく覚えている。が、しかしそのようなフレキシブルな形態こそが、まさに〈スタイル評議会〉そのものだろう。唯一の相方に指名されたのはミック・タルボット。ジャム時代のアルバム『Setting Sons』でカヴァーしていたマーサ&ザ・ヴァンデラスの“Heat Wave”で、ニッキー・ホプキンスばりのホンキー・トンクなピアノ・プレイを披露していた、〈Merton Mick〉とクレジットされていたネオ・モッド・バンド、マートン・パーカスの腕利きキーボーディストである。当時、ファンにとっては〈??〉な印象を持たれていたかもしれないが、ポール・ウェラーにとってはまさに盟友(ソウル・メイト!)。彼ら二人のセンス的信頼関係は当然、現在でも普通に続いている。当時の日本のロック・ジャーナリズムでは、ミック・タルボットの評価があまりにも低かったのは悲しすぎます。センスなさすぎ。

 さて、彼らのデビュー曲は“Speak Like A Child”。ブラス・セクションとミック・タルボットのプレイするハモンド・オルガンがあまりに印象的な、快活でポップなそのナンバーはスタイル・カウンシルの華々しい幕開けとして完璧であった。続くシングルは“Money-Go-Round”で、8分近い長尺のファンク・ナンバー。これを聴くとジャムを解散させた理由がよくわかると思う。ポール・ウェラーの表現したかったソウル・ミュージックは、もはやジャムには再現不可能だったのだ。そしてスタイル・カウンシルの特徴としてあまりに印象的なのは、サイモン・ハルフォンによる(彼はいまだにポール・ウェラーの専属デザイナー)あまりにもスタイリッシュなレコード・ジャケット・デザイン。デビュー後しばらくはシングル・リリースのみというコンセプトで、曲ごとに変化する音楽性と一貫した美意識のジャケット。既存のバンドにはありえない、まさにスタイル・カウンシルにしかできない斬新なスタイル。クール。センス良すぎでした。

 84年のファースト・アルバム『Caf・Bleu』は、ジャズ、ボサノヴァ、ソウル、はたまたPファンク調のラップをフィーチャーしたナンバー……と、まさに〈スタイル評議会〉の本領発揮。ジャケットのステンカラー・コート。あまりにカッコ良すぎました。

 翌85年のセカンド・アルバム『Our Favorite Shop』は、ポール・ウェラーとミック・タルボット、二人の趣味と音楽性とポップセンスが見事にまとまった、文句ナシの史上最高傑作であることは間違いないであろう。ファンの間ではジャケットに映っているアイテムを片っ端からチェックしまくったりも。

 脂が乗った黄金期のライヴ・アルバムを挟んで、87年に発表されたサード・アルバム『The Cost Of Loving』。日本では当時もっとも高いセールスを記録したこのアルバムだが、あまりにもリズム&ブルース色の強い一枚で、前作のようなヴァラエティーに富んだ〈スタカン・ワールド〉が低迷していたのは否めない。ポール・ウェラー憧れの、カーティス・メイフィールドも参加している一枚ではあるが……。

 続く大作『Confessions Of A Pop Group』は本国イギリスでは大酷評。セールス的にも最低を記録。あきらかにスタイル・カウンシル失速がありありと表出。予想だにしない実質上のラスト・アルバムとなった。

 さらにはその後、シカゴ・ハウスのサウンドに魅了されまくりのポール・ウェラー。ハウスに大接近した次作アルバムは、なんとポリドールからのリリース拒否! なんとも寂しいスタイル・カウンシルの終焉であった。

 その後、ふたたびリッケンバッカーを手にソロ・キャリアをスタートするまでは、しばしの沈黙期間となった。
(山下 洋)

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