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特集

PAUL WELLER

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年09月02日 16:00

更新: 2004年09月02日 17:53

ソース: 『bounce』 257号(2004/8/25)

文/bounce編集部

パンク/モッズ・シーンすら呑み込んだジャム期

16歳のときだったよ、K・テルの廉価盤で初めてザ・フーの“My Generation”を聴いたのは。あのときの衝撃はいまでも覚えている。だって僕の進むべき道をあの曲は教えてくれたんだから。それまでの長髪を切り、持っていた服を処分し、代わりに僕はヴェスパと細身の3つボタンのスーツを手に入れた。そう、その日から、僕はモッズのライフスタイルとスピリットを追求するようになったってわけさ」(ポール・ウェラー)。

 いまなお、世界中のモッドな若者たちから、永遠のポップ・アイコンとして愛され続けているバンド、ジャム。英国サリー州はウォーキング生まれのウェラーが、70年代に入ってから級友スティーヴ・ブルックスと趣味で結成していたデュオが、やがてハイスクールの先輩リック・バックラーをドラマーに、ブルース・フォクストンをギターに迎え、ジャムと名乗り地元で本格的な活動をするようになったのが74年のこと。つまりは冒頭の発言とほぼ同時期である。そして、その後、ブルックスが脱退、ベース担当だったウェラーとフォクストンが楽器をスウィッチ、トリオ編成となったジャムは、76年にはマーキーや100クラブといったロンドンの有名なライヴハウスに進出するまでに。時あたかもロンドン・パンクの前夜である。彼らのアグレッシヴかつポップでダンサブルなステージングがロンドンっ子たちの間で評判となるのには、さほどの時間を要さなかった。いつしかジャムは、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムド、ストラングラーズと並び〈ロンドン・パンク5大バンド〉と称されるようになっていた。

 77年4月、ポリドールと契約した彼らは、シングル“In The City”でデビュー。この曲の〈25歳以上の大人は信用するな!〉というテーゼは、以後、ウェラーのバンド理念ともなる。とはいえ、当時から彼らを〈パンク〉という言葉で形容するのには否定的な論評も多かった。サウンドからファッションに至るまで、60年代のザ・フーに代表されるビート・グループからの影響を色濃く感じさせる彼らに対し、ピュアなパンクスたちからは、〈保守的〉〈復古調〉といった批判の声があがったのも事実である。

 そんなジャムが真の意味で真価を発揮したのが、パンクからニューウェイヴへと季節が様変わりする78年秋に発表されたサード・アルバム『All Mod Cons』。ここで彼らは、60年代のブリティッシュ・ビート、モッズ・サウンドをテキストにしながらも、決してノスタルジーに終わらせることなく、モダンなサウンド・アプローチ、絶妙のバンド・アンサンブルを提示したのだ。なによりも大きかったのは、ソングライターとしてのウェラーの驚異的な成長ぶりであり、それもあってアルバムは同年度の「NME」誌の人気投票で最優秀アルバムにも選出されている。彼らは一躍パンクのイメージを払拭することに成功、パンクに代わる新しいムーヴメント、モッズ・リヴァイヴァルの旗手とされると共に、国民的人気バンドへの足がかりを掴む。翌79年の『Setting Sons』ではコンセプチュアルかつ洗練されたネオ・モッズ・ミュージックを確立、もはやこの頃には人気、実力共に、英国でNo.1バンドといっても良いほどの地位にまで登りつめていた。

 しかしながら、ウェラーたち3人は、ネオ・モッズ・ムーヴメントに背を向けるかのように翌80年には、サイケデリックな路線へと転換を図ることになる。それが成果として結実したのが、共に全英No.1ヒットとなったシングル“Going Underground”であり“Start!”、そして『Sound Affects』であった。なお、同年夏には来日公演を行い、極東の島国のファンにもその雄姿を初めてナマで披露している。81年秋にヒットしたファンキーなチューン“Absolute Beginners”はある意味で、ウェラーのスタイル・カウンシル結成への伏線となった曲といえるだろう。事実、この頃からウェラーの音楽的野心は、トリオ編成のビート・バンドといった範疇では消化できなくなっていたのだ。確実にジャムは最終章へと向かいつつあった。

 82年春、“Town Called Malice”とアルバム『The Gift』を共に全英チャートのトップに送り込んだ彼らだったが、しかし、10月、人気絶頂期のバンドとしては異例の解散声明を発表、多くのファンに惜しまれつつもフェアウェル・ツアーを行い、その栄光の歴史に潔すぎるほど潔い幕を下ろしている。

「やるべきことはやり尽くした。ストーンズみたいに老いさらばえてまで、僕はジャムを続けようとは思わない」──ときにウェラー、24歳。“In The City”の公約を守ったといえるだろうその誠実な姿勢は、いまなお彼の音楽のなかで脈打っている。(小松崎 健郎)

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