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カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2004年08月12日 19:00

更新: 2004年08月12日 20:25

ソース: 『bounce』 256号(2004/7/25)

文/一ノ木 裕之

No.1ダンスホール・バンドは1日にしてならず──その鍛錬の歴史を振り返ってみよう

 パーマネントなダンスホール・バンドもなく、バンドによるステージ・ショウもほとんどなかった90年代前半に、日本のアーティストだけで野外のビッグ・ダンスが開催できる今の状況など誰が想像できただろうか。そこには日本のDJやシンガーが底上げされたことがもちろんある。しかし、ベースのTancoをリーダーとするダンスホール・バンド、Home Grownの存在がなかったとしたら様子はまったく違ったものになっていたはずだ。

「ジャズやファンクで細かいパッセージをいろいろ練習していたわけですよ。それがレゲエだと、ヒットしてるオケは一音か二音ぐらいしか使ってないベースで。え、あり?みたいな。だけど、それを弾いてみたら3分もできない。そっから新たな世界が僕のなかで開けて、できるようになりたい!って」(Tanco : 以下同)。

 神奈川は葉山の森戸海岸にある海の家〈OASIS〉のハウス・バンドとして気の合う仲間でスタートした彼らは90年代なかば、活動の場を外へと拡げる。茅ヶ崎や横浜のクラブでライヴ・イヴェントを始めた彼らの周りにはFIRE BALLしかり、NANJAMANしかり、PAPA U-Geeしかり、いろんなアーティストが集まってくることに。その頃、関西にいたPUSHIMやNG HEADらにまで交流が拡がったのも、パーマネントなダンスホール・バンドが後にも先にも彼らだけだったからだろう。「止めるとかミックスとか、オケ変えるとか、他のジャンルとあり方がまったく違う」ダンスホール・バンドとしての雛形は当然その頃の日本に求めようもなく、教材はジャマイカの生録カセットやビデオとなった。バンドはそんな目で見る経験や、共演アーティスト共々の現場での〈手探り〉から形作られていった。

「大変でしたよ、やっぱり。どうやってるかわかんないんですから、ジャマイカのショウを観ても。歌い手もわかってなかったし。その代わり徹底的に研究して」。

 以降のHome Grownの歩みは彼らだけのものではなく、日本のダンスホールのステージ・ショウの歴史だ。そればかりか、彼らは共演アーティストと共にダンスホールのステージ・ショウというフォーマットを今も作り続けている。かつてOASISでも毎日繰り返されていたというセッションの延長で。Home Grownの新作『Time Is Reggae』もまた、彼らのそうした日々の成果のひとつと言ってよさそうだ。

「スタジオで〈せーの〉でやるセッションと、アルバムの作業に入る前に、僕が家で1曲のスケッチを何パターンか考えてやるセッションと半分半分ですね。ジャム・セッションをして固まるとすぐ録音して、2日か3日で5、60やったなかからこれ使おう、これ使おうってやって」。

 レゲエ界のみならずヒップホップ界などからもフィーチャリング・アーティストを迎えてはいるものの、アルバムのコンセプトは過去2作と同様に「ジャパニーズ・レゲエのベーシックになるようなアルバムを」というもの。

「僕らは僕ららしく、いつもライヴでやってるようにアルバム作ろう、聴き終わって心が温まってるようなアルバムを作りたいっていうのがあった」。

 過去に面識あるメンツばかりとの共同作業で作られたアルバムの音はTancoの言葉どおり、温かい。その演奏が海を越えてジャマイカにまで届く日を想像するのは本人たちだけではないだろう。

▼Home Grownの作品。

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