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創生期から現在まで……ジャパニーズ・レゲエの20年

80年代半ば、シーンの〈現場〉はどこにあった?

 80年代半ばから少しずつ出来た東京のクラブ。そこを舞台に発展していたひとつの大きな流れがレゲエであった。実際、ヒップホップよりもレゲエのほうをプレイする人間が多かったかもしれないというほどだったのだ。それには、70年代からレゲエを愛してきた人々の尽力がある。ヒップホップは新しいものだったが、レゲエに対しての情熱は日本ですでに伝統があったのだ。東京の最初のクラブのひとつ〈ピテカン・トロプス・エレクトス〉ではDUB MASTER XやK.U.D.O.の手によってレゲエがプレイされていたし、西麻布にできた〈トゥールズ・バー〉ではレゲエ・ナイトが人気を集めていた。〈タクシー・レーン〉という高樹町にあったクラブ(後の〈バブリン・ダブ〉)ではサッタがレゲエを回していたし、西麻布にできた〈P.ピカソ〉というクラブでは藤井悟、長田定男といったDJがレゲエを回していた。ジャマイカン本場のプレイ・スタイルを踏襲するもの、自分なりの方法を試行錯誤するもの、ともかく、日本のクラブ・シーン初期でレゲエは決して軽視できないものだったと言える。

カテゴリ : フィーチャー

掲載: 2004年08月05日 13:00

更新: 2004年08月05日 20:32

ソース: 『bounce』 256号(2004/7/25)

文/荏開津 広

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