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THE WHO(3)

〈ロック・ミュージック〉を更新し続けた70年代以降

『Tommy』のあたりから萌芽しはじめた、ロック・ミュージックの枠内では収まりきれないザ・フーの世界観がいよいよ具現化しはじめるのがこの頃。ロック+SF+ユートピアという映画〈Life House〉がピートにより構想されるが結局は中断の憂き目に(2000年のCD6枚組『The Life House Chronicle』でその全貌があきらかになった)。しかしながら、その時の残滓が最高傑作の誉れ高いアルバム『Who's Next』(71年)へと結実するのだから、ピートの構想力、ザ・フーというバンドの表現力たるやなんというかかんというか。

 73年にはモッズ・エラを舞台にメンバー4人の個性を分裂症的に与えた主人公のロック・オペラ『Quadrophenia』を発表。この作品は79年にモッズ・ムーヴィーなのにサントラはハードロックという映画「さらば青春の光」になるのだが、ここ日本では長きに渡って、深夜枠でこの映画がTV放送された地域ではミリタリー・コートと『My Generation』を探し求める若者が微増する、というモッズ入門としてもザ・フー入門としても意義深い作品となった。

 その後も、『Tommy』の映画化作業(75年公開)で多忙を極めるメンバーを後目に、契約履行のためジョンがアウトテイクスを編集した『Odds And Sods』(74年)、ピートのソングライター魂がバンド全体に乗り移ったかのような『The Who By Numbers』(75年)、パンク/ニューウェイヴ・エラのムードを彼らなりに解釈したような作風の『Who Are You』(78年:〈あんたダレよ?〉とは自虐を感じるが、当時のピートいわく「僕がいまティーンエイジャーだったらザ・フーなんか観ないでクラッシュを待つ」。さすが、わかってらっしゃる!)と、大物バンドらしさを遺憾なく発揮。ところが『Who Are You』リリースから1か月とたたずキースが急死してしまう。本稿ではほとんどオミットしたが、彼のオモシロ人間ぶりは〈ロック界最大の奇人〉の名に恥じぬハチャメチャなものだったという。のちに出版されたロック・ゴシップ集成本「ロックンロール・バビロン」で公開された彼の写真が、漫画家・江口寿史をはじめとする陰部に幼児性を残す成人男子に勇気を与えるなどの功績を残したキース・ムーン、享年31歳であった。

 キースの死後、ドラマーにスモール・フェイセス~フェイセスのケニー・ジョーンズを迎え活動を続けるわれらがザ・フー。バンドのヒストリーを綴ったドキュメンタリーおよびそのサントラ『The Kids Are Alright』(79年)を経て、アルバム『Face Dances』(81年)を発表するも、続く『It's Hard』(82年)リリース後、そのタイトルは心情を吐露したものだったのだな……と誰もが思った〈もうダメ〉宣言がピートから出される。こうして大々的なツアーを82年末までこなした後、60年代から活動してきたザ・フーはその幕を閉じるのであった。

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年07月08日 16:00

更新: 2004年07月08日 17:12

ソース: 『bounce』 255号(2004/6/25)

文/山内 史

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