THE WHO(2)
〈ロック・バンド〉たる姿を確立させた60年代
ハイ・ナンバーズからふたたび名を戻したザ・フーは、65年1月にピート作のシングル“I Can't Explain”で再デビューを果たし、全英8位といきなりのヒットを記録。もっともリアルに若者の心情を代弁したオリジナル・ソングを演奏するバンドとして、その唯一無二の個性を示したのだ。その地位を確固たるものにしたのが65年11月のサード・シングル“My Generation”だ。タイトルどおりの歌世界、ドラッグでラリったヤツ特有の舌のもつれっぷりを援用したヴォーカル、ワイルドかつテクニカルなアンサンブルなど、フラストレーションまみれの若ェヤツなら誰でもグッと来ざるを得ない要素盛りだくさんのこのロック・アンセムは全英2位と大ヒットを記録し、12月に同名のファースト・アルバムがリリースされる。
順風満帆に見えるザ・フーであったが、その内情は、若く野心に満ちたバンドの例に違わず、メンバー間の対立などで空中分解の危機を常に孕んでいた。ジョンいわく「“My Generation”のヒットでいっしょにやっていかざるを得なくなった」という状態だったようだ。そのジョンの言葉を借りると、可愛い男の子として女の子に人気のキース、セックスありきで物事を考えるもうチョイ年上の女子を惹き付けたロジャー、デカい鼻への好奇心よりそのインテリジェンスに好意と敬意を寄せられたピート、コンサートでは後ろに陣取るような層にひっそりと支持されたジョン、というキャラのカブらなさぶりはそのまま個性と個性のぶつかり合いに繋がる。その対立は結局、ヒットによりメンバーが腹をくくったことや、67年の初のアメリカ・ツアーにおいてメンバー間でお互いの理解を深めたことなどにより、解消されることになる。そのアメリカ・ツアーで〈ロック・バンドは施設を破壊するもの〉という認識をホテル関係者に植え付けたザ・フーではあったが、そこで生まれた結束が、この珍奇なバンドを80年代まで存続させることになろうとは、当時のメンバーも思い至らなかったに違いない。
強烈なライヴ・アクターとしてのザ・フーが、そのアメリカ・ツアーやモンタレー・ポップ・フェスティヴァル(67年:ジミヘンのギターメラメラで有名)、ウッドストック・フェスティヴァル(69年)などで、モッズ・エラの終焉後も評価を確実なものにしていった一方で、レコーディング・アーティストとしても実験性と物語性を兼ね備えた作品を発表していく。メンバー全員がそれぞれ楽曲を持ち寄った『A Quick One』(66年)、ラジオ・ジングルにより楽曲を繋いでいくという海賊放送のスタイルで構成された『The Who Sell Out』(67年)、ピートの作家性が存分に発揮された(アナログ)2枚組のロック・オペラ『Tommy』(69年)と、その時代時代のムードを反影しながらも、あるムーヴメントに収束されない独自の世界観を持ったディスコグラフィーを更新していく。そして、爆音必須のライヴ・アルバム『Live At Leeds』をもって、ザ・フーは狂乱の60年代から充実の70年代へと突入していくことになる。
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