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特集

THE WHO

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年07月08日 16:00

更新: 2004年07月08日 17:12

ソース: 『bounce』 255号(2004/6/25)

文/山内 史

彼ら、ザ・フーの来日公演が、今夏を騒がすニュースのひとつだということに誰も異論はないだろう。結成からこれまでの間、ロック・バンドのあり方を定義し、ロック・ミュージックの可能性を示してきたバンド、ザ・フー。だが、ディスコグラフィーだけで、彼らの魅力すべてを知ることはできない。なぜならその陰には、破壊的なまでの衝動や衝撃的なドラマが隠されているからだ。あらゆる者を惹き付けてやまないザ・フーの魅力──そのドラマに迫ってみよう!


ザ・フーの歴史は、ロンドンにあったアクトン・カウンティ・グラマー・スクールの学生らによって63年に結成されたデトワーズから始まる。当初はリード・ギタリストだったロジャー・ダルトリーを中心とした、ベーシストのジョン・エントウィッスルらからなる5人組で、ビートルズ・ソングなどをレパートリーとして演奏していたという。ほどなくリズム・ギタリストの脱退を機にジョンの旧友だったピート・タウンゼントが加わり、ヴォーカリストの脱退や自身の腕の怪我などによりロジャーはヴォーカリストにコンバート(ピートはリード・ギタリストに)、また当時、同名のバンドがすでに活動していたこともあって改名を決意──こうしてザ・フーという名の4人組がロック史上に登場したのである。

 その〈ザ・フー〉という名の発案者でもある彼らの友人が所有していたジャズやブルースのレコード・コレクションはメンバーを夢中にさせ、ザ・フーのレパートリーはハードなブルースが中心となっていった。その頃、ピーター・ミーデンという男がマネージャーとなるのだが、彼自身がモッズ・シーンの顔役(フェイス)で、ザ・フーもモッズからの支持が熱かったことから、バンドの売り出しにあたってはモッズ・イメージを前面に出すことに。バンド名をモッズ・ワードでもある〈ハイ・ナンバーズ〉に改めさせ、ブルース・ナンバーにモッズの風俗や心情を盛り込んだ歌詞を付けたシングル“In The Face”でデビューさせるもセールス的には撃沈、マネージャーも変わり、名前もザ・フーに戻されることになる。

 それと時を前後して、ある一人の若きモッドがザ・フーのステージに現れる。メンバーは彼の希望を受け入れドラム・セットに座らせるが、ハチャメチャなプレイを披露するやいなやドラム・セットは大破。これにバカウケのザ・フーは彼を正式ドラマーとして迎え入れることに。その若きモッドの名はキース・ムーン、ロックの神様も彼の(人としての)特異性にさほど気付かぬ64年秋のことであった。

 ザ・フーは、〈マキシマム・リズム&ブルース〉と称したそのハードな音楽性もさることながら、破天荒なステージ・パフォーマンスで話題を呼んでいった。チ○ポのデカそうなヴォーカリストはマイクをぶんぶん振り回し、何が詰まってんだ?ってくらい鼻のデカいギタリストは腕を風車のようにぐるぐる回してジャンプ! ジャンプ! またジャンプ! ステージ上の楽器は一見かわいらしいドラマーを中心に破壊の限りを尽くされ、乱痴気騒ぎのなかにあってもベーシストは不動──こうした現代にも引き継がれる〈ロックとはなんぞや?〉の原典をこの時期からつぎつぎと書き起こしていく一方で、ロジャーの鉄拳からピートの作家性へと、バンドのイニシアティヴは徐々に移行していったのだった。〈いかに黒くワイルドにブルースを演奏するか?〉が命題のモッズ・バンドの範疇を超えて、その後何10年と聴き継がれていく数々のオリジナル・ナンバーをザ・フーが生み出していこうとは、当時の聴衆の何人が思っただろうか?

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