SONIC YOUTH(3)
〈NYトリロジー〉というコンセプトへ
しかし残念ながら、当時彼らが属したインディー・レーベルでは、この名盤にふさわしいプロモーションを行う力はなかったし、順調に力を拡げていたアメリカのパンク/オルタナティヴ・マーケットに対応することも不可能だった。大きくなった体躯を収める洋服を用意できるのはメジャー・レーベルしか残されていなかったし、その意味でも彼らが『Daydream Nation』発表後、メジャー系のゲフィンと契約したのは必然的なものだった。だが、当然のようにメジャーと契約することでこれまで彼らがやってきた自由度満点の活動、とくに思いつきとしか思えない実験的なレコードやみずから作るブートレグ、脈絡のないコラボレートなどはなくなってしまうのだろうか、それは牙を抜かれた猛獣となることを意味しないのだろうか──といった疑念の声が吹き上がった。しかし、あれから10年以上経った現在では、そうしたことすべてが杞憂だったことがわかる。彼らは少しも変わることなく、いや余裕が生まれたせいか、さらにのびのびと世界中のアーティストたちと交流し、サポートをし、また自分たちのレーベルからはインプロヴィゼーションやノイズ、朗読と、興味のおもむくままの作品を発表するなど、ある意味では理想的な状況を作り上げている。
話を戻すと、ゲフィンと契約した彼らが最初にリリースしたのが90年の『Goo』だった。“Dirty Boots”に始まり、カレン・カーペンターに捧げた“Tunic(Song For Karen)”や“Kool Thing”など全曲プロモ・クリップが作られソフト・パッケージとしてもリリースされ、それまでのロクに宣伝費もなかったような世界とは大きく違った展開がなされていった。もちろんその成果は絶大であったし、彼らが選択したことで信頼したニルヴァーナがゲフィンと契約し、運命のアルバム『Nevermind』を発表したことで、ついにアメリカではグランジが91年、爆発的なブームとなったのである。そのムーヴメントはアメリカのインディー・アーティストに関心を向けさせることになったし、多くのドラマを産みもしたが、ソニック・ユースのペースは変わることなく92年の『Dirty』、94年の『Experimental Jet Set, Trash & No Star』、95年の『Washing Machine』、98年の『A Thousand Leaves』とアルバムを発表してきた。その間のシーンの激動を考えると冷静沈着すぎるほどでもあったわけだが、そうしたなかからじっくり熟成されていったのが、改めて自分たちのルーツにしっかり立ち戻ることであり、引き出されたのが〈NYトリロジー〉というコンセプトであった。
そして〈9.11〉の体験も踏まえ、自分たちの歩んできた道を振り返ることで、次の一歩を、より充実したものにしようと考えた結果生まれたのが、今回の『Sonic Nurse』だ。この素晴らしいアルバムを持って、最近ではなかったほど積極的にプロモーション、ツアーに進む彼らは完全に次のステップを捉えているように思える。