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特集

SONIC YOUTH(2)

カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年06月10日 12:00

更新: 2004年06月10日 18:59

ソース: 『bounce』 254号(2004/5/25)

文/大鷹 俊一

混沌にこそ未来が!

 グループが結成されたのは81年のこと。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンが大好きでNYにやってきたサーストン・ムーアと、アート好きのキム・ゴードン、そして現代音楽でギターをやっていたリー・ラナルドがイースト・ヴィレッジ周辺で交流を深めるうちにグループ結成となる。

初期のテーマは〈混沌にこそ未来が!〉〈Kill Your Idol!〉など挑発的な言葉が掲げられ、音も激しいノイズがカオスを作り出していくものが中心となっていた。最初はなかなかドラムスが固定せず、また活動の場も少なく極貧のなかで苦労しながら少しずつ行動半径を拡げていく。特にアメリカ以上にエキセントリックな表現や活動に理解の深かったのが、当時、まだまだ〈パンク/ニューウェイヴ〉の時代だったロンドンやヨーロッパのシーンで、ソニック・ユースの名前はそちらで拡がっていった。

NYのインディー・レーベルからのミニ・アルバムでデビューした彼らにすぐコンタクトを取ったのは、当時はまだ壁に覆われ、分断されていた西ベルリンのインディー・レーベルだったし、彼らの音を出したいがために積極的にロンドンでインディー・レーベルが立ち上げられ、85年の『Bad Moon Rising』はマイナーなシーンに注目していた人々の間ではベストセラーとなった。UKなどは国が小さいせいもあって新しい音楽の動向などが伝わりやすく、彼らはたちまちNYアンダーグラウンドの中心的な存在として認知され、また85年にドラムスが現在のスティーヴ・シェリーに固定されてからはグループの安定度も増し、86年の『Evol』、87年の『Sister』と順調に好アルバムを発表していく。その間も精力的にツアーを行い、世界各地のインディー系バンドとの交流を持ち、さまざまな形で彼らをサポートしていったのだった。ソニック・ユースのライヴをサポートする、ツアーをいっしょにやる、スプリット・レコードを作る、またはインディー制作のコンピに参加してもらう、といったことすべてが、そうしたバンドやレーベルへの信頼感を高め、注目を集めるようになっていったのである。

彼らがイギリスのシーンに紹介したダイナソーJrは大きくブレイクしたし、レパートリーを交換し合ったシングルを発表したシアトルのマッドハニー、そのベースであったインディー・レーベル、サブ・ポップも注目されるなど、各地に蒔かれたタネはさまざまな形で芽吹き始め、ソニック・ユースそのものの表現域も、インディーの場では限界点を超えたものになっていた。それを世界中に示したのが88年にアナログ2枚組で発表された『Daydream Nation』だ。現在も重要かつ人気レパートリーである“Teen Age Riot”をはじめ“Silver Rocket”“Providence”“Kissability”といったナンバーが収められ、多くのファンから絶賛を浴びたアルバムは現時点で聴き返してもその楽曲の持つパワー、グループの研ぎ澄ましたテンション、アルバムとしての総合力という点でも、まったく減衰した部分はなく〈いまでも〉ソニック・ユースを代表する名作である。

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