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カテゴリ : ピープルツリー

掲載: 2004年06月03日 14:00

更新: 2004年06月03日 19:43

ソース: 『bounce』 254号(2004/5/25)

文/出嶌 孝次

フラストレーションのなかで作品を量産

 そのアルバムをリリースした92年には所属レーベルのワーナーと契約を結び直し、副社長待遇まで手に入れたプリンスだったが、翌年には何と〈レコーディング中止宣言〉を行っている。これは、今後はライヴ活動に専念し、作品は膨大なストック(その時点で500とも1,000ともいわれる未発表曲の存在があった)を小出しにしていくことで賄う……という主旨の宣言だった。プリンスは『Purple Rain』の後にも同じような宣言をしているが、その時の発言は一種の気まぐれとも取れる思わせぶりなものだった。が、今回は様子が違ったのだ。やがて見えてきたのは、所属するワーナーとの対立だった。〈オレの出したい作品を出したい時に出したい体裁でリリースした~い〉という、実にまっとうな(レーベル側からすればワガママな)鬱憤がついに爆発したのである。そうなると、必然的にインディペンデント・レーベルで活動すればいいわけだが、ワーナーとの契約で出さなければいけないアルバムの枚数は決まっている……そんなジレンマがプリンスをして自身の顔に〈Slave〉と書かしめ、ついには例のシンボル・マークへと改名するに至らしめたのだろう。

 その読めない名前でリリースした最初のシングルは、94年の“The Most Beautiful Girl In The World”。この曲はインディー流通にも関わらず全米3位まで上昇するヒットとなり、彼に大きな自信を与えた。が、〈別の名前であれば契約は関係ない〉という理屈が通るはずもなく、アルバムで契約を履行していくことになる。結果、死をテーマにした『Come』や、ヤケクソ寸前のパワーに満ちた『Chaos And Disorder』などの作品が次々と世に出てくることになった(みずからの意志でリリース中止にした『The Black Album』まで投入した)のだが、ただ、そんな状態にあってもリスナーを置き去りにしないで、水準以上の作品をリリースし続けたあたりは、さすがプリンスというべきだろう。

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